沖縄地方気象台跡とは? わかりやすく解説

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沖縄地方気象台跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:25 UTC 版)

那覇ホイール地区」の記事における「沖縄地方気象台跡」の解説

那覇ホイール地区象徴する建物は、上記返還式典使われているアーチ連なる白い建物であり、それは沖縄戦後すぐに那覇軍港本部として使用され、後に沖縄アメリカ総領事館となった建物だが、これはもともとは戦前沖縄地方気象台建物だった。 沖縄地方気象台小禄村字鏡水名座原、通称ガジャンビラ高台の約2,500坪の土地庁舎無線塔2基をかまえ、1927年4月から業務開始し当時最新鋭計器気象観測無線西南地域船舶伝達した気象情報軍隊には最も不可欠な機密情報一つであり、雨風予測は、日本軍航空機による特攻作戦成功に導くための重要な任務とされたため、1945年3月激し米軍の攻撃さらされた後は、職員らは準備していた壕に計器をもって移転し、そこから気象観測日本軍送り続けた沖縄気象予報記録は、1945年5月25日最後に途絶える職員38人のうち33名が沖縄戦命を落としたといわれている。 「沖縄気象台」を参照 一方で建物のほうは爆撃ボロボロになりながらもなんとか全壊をまぬがれた。小禄半島上陸した米軍すぐさま建物那覇軍港司令部として利用した現存する写真確認すれば米軍戦前原型残し優雅な建物修復したことがわかる。そしてその後アメリカ総領事館となり、やがて1972年には那覇ホイール地区自衛隊との引継ぎ式典使われた。そして1987年取り壊された。 しかし、米軍基地から返還された後も、沖縄戦生きのびたこの建物県民目に触れることはなかった。いまは跡地小さなプレートが残るが、自衛隊基地のなかにあるため一般に訪れることはできない基地フェンス外側に掲気象台跡地を示すプレート設置されている。

※この「沖縄地方気象台跡」の解説は、「那覇ホイール地区」の解説の一部です。
「沖縄地方気象台跡」を含む「那覇ホイール地区」の記事については、「那覇ホイール地区」の概要を参照ください。

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