池松林一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 池松林一の意味・解説 

池松林一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 05:00 UTC 版)

池松林一
いけまつ りんいち
生年月日 1889年2月4日
出生地 日本 長崎県北高来郡諫早町
(現・長崎県諫早市
没年月日 1971年4月
出身校 早稲田大学専門部政治経済科卒業
前職 貸金業[注釈 1]
現職 長崎県出納長
所属政党 自由党[注釈 2][注釈 3]
称号 勲五等双光旭日章
配偶者 池松ヨト[注釈 4]
宗教 浄土宗

在任期間 1946年1月10日 - 1947年4月8日

諫早市会議長
在任期間 1940年10月1日 - 1943年1月26日

長崎県会議員
選挙区 北高来郡選挙区
当選回数 1回
在任期間 1939年9月 - 1947年4月

諌早町長
在任期間 1921年 - ?
テンプレートを表示

池松 林一[1](いけまつ りんいち[2][3]1889年明治22年〉2月4日[2] - 1971年昭和46年〉4月[4])は、日本政治家実業家銀行家。長崎県諫早市長(第3代)[5]長崎県会議員(1期)[6][7]HKT48の元メンバー田島芽瑠高祖父である[8]

経歴

長崎県北高来郡諫早町(現・諫早市)出身[1]。池松佐八の次男[2][9][10]。池松ノエの養子となる[2][3]1906年(明治39年)、家督を相続する[9]

東京大成中学校[10]を経て1918年大正7年)、早稲田大学専門部政治経済科を卒業[2][10]貸金業を営む[11][注釈 1]

1921年(大正10年)、諫早町長に就任する[5]1939年(昭和14年)9月、北高来郡選出の県会議員となった[6][7]1940年(昭和15年)に諫早市制が施かれると10月1日に初代市会議長に選ばれた[15]1943年(昭和18年)1月26日に辞任する[16]1946年(昭和21年)1月10日に3代市長に就任した[5][17]

1947年諫早市長選挙

1947年(昭和22年)の市長選挙に自由党公認[注釈 2]で立候補したが、中嶋太郎[注釈 5]に大差で破れた[18][19]

※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
中嶋太郎[注釈 5] 58 無所属 14,739票 73.4% -
池松林一 48 自由党[注釈 2] 5,346票 26.6% -

同年4月8日まで務めた[5][17]。同月、県議も退任した[6][7]

退任後は、1951年(昭和26年)6月21日から1958年(昭和33年)7月20日まで長崎県出納長を務めた[20][注釈 3]

そのほか、諫早銀行頭取、十八銀行、長崎製糸、諫早無尽[10]、諫早製麺各取締役[11]、諫早倉庫貯金監査役[11]、長崎県森林組連同県信用漁業協組連各会長、長崎県中央食糧会長をつとめる[2]。池松石油店を経営する[3]

人物

趣味は狩猟[2]ゴルフ[9][10]。宗教は浄土宗[2][9][10]。住所は長崎県長崎市桜馬場町[2]、長崎県諫早市本町[3]、長崎県北高来郡諫早町横町[11]

栄典

家族

池松家

脚注

注釈

  1. ^ a b 池松林一について『商工資産信用録 第23回』には「職業・貸金貸地、調査年月・1922年7月、正味身代・P、信用程度・B」とある[12]。『商工資産信用録 第35回』には「職業・貸地、調査年月・1934年5月、正身身代・O、信用程度・B」とある[13]。『大日本紳士名鑑』には職業は「農業」とある[14]
  2. ^ a b c 『県政秘話 : あの時あ丶だったら』には無所属となっている[18]
  3. ^ a b 出納長就任にあたり、自由党籍からの離脱を求められた[21]
  4. ^ a b 『人事興信録 第19版 上』には「代都子[2]」、『早稲田大学紳士録 昭和15年版』には「ヨト子[10]」とある。
  5. ^ a b 『県政秘話 : あの時あ丶だったら』には中島太郎となっている[18]

出典

  1. ^ a b 『長崎県事業大鑑』池松林一氏(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第19版 上』い79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月17日閲覧。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第25版 上』い183頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月18日閲覧。
  4. ^ a b 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 下』2123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み 第3巻』575頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月17日閲覧。
  6. ^ a b c 県議会百年の歩み 61コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ a b c 県議会百年の歩み 62コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 元HKT48田島芽瑠、曽祖父&高祖父は地元の名士だった 「銅像あるの初めて知った」”. J-CAST ニュース. ジェイ・キャスト (2025年5月17日). 2025年5月17日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j 『長崎県人事興信録 1935版』い36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月17日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』イ75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月18日閲覧。
  11. ^ a b c d 『九州紳士録 再版』い9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月18日閲覧。
  12. ^ 『商工資産信用録 第23回』長崎県い之部481頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月20日閲覧。
  13. ^ 『商工資産信用録 第35回』長崎県い之部3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月20日閲覧。
  14. ^ 『大日本紳士名鑑』長崎県10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月20日閲覧。
  15. ^ 諫早市制十年誌 38コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  16. ^ 諫早市制十年誌 39コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  17. ^ a b 諫早市制十年誌 41コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  18. ^ a b c 県政秘話 : あの時あ丶だったら 14コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  19. ^ 『長崎縣要覽』14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年5月20日閲覧。
  20. ^ 長崎県議会史 第6巻 669コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  21. ^ 長崎県議会史 第6巻 288コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 上野雅生編『九州紳士録 再版』九州集報社、1916年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第23回』商業興信所、1921 - 1926年。
  • 『長崎県事業大鑑』佐世保新聞社、1929年。
  • 長崎日日新聞社編『長崎県人事興信録 1935版』長崎日日新聞社、1934年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第35回』商業興信所、1935年。
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
  • 峰晴之『長崎縣要覽』長崎日日新聞社、1948年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第19版 上』人事興信所、1957年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
  • 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 下』日本叙勲者協会、1978年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  池松林一のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「池松林一」の関連用語

池松林一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



池松林一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの池松林一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS