江界郡とは? わかりやすく解説

江界市

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 06:26 UTC 版)

江界市
江界紡績工場
位置
地図
江界市
江界市 (北朝鮮)
各種表記
チョソングル: 강계시
漢字: 江界市
日本語読み仮名: こうかいし
片仮名転写: カンゲ=シ
ローマ字転写 (MR): Kanggye si
統計
行政
国:  朝鮮民主主義人民共和国
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江界市(カンゲし)は、朝鮮民主主義人民共和国慈江道道都。人口約22万人(1993年)。

地理

将子江の中流に位置する都市である。東に長江郡、西に時中郡渭原郡、南に城干郡と隣接する。北朝鮮随一の軍需工業都市であり、冷戦末期に最も重要なミサイル製造工場として知られた26号工場351号工場も江界市に立地している[1][注釈 1]江界強制収容所も、この都市に存在する。

行政区画

34洞・2里を管轄する。

  • 江西洞(カンソドン)
  • 古営一洞(コヨンイルトン)
  • 古営二洞(コヨンイドン)
  • 公貴洞(コングィドン)
  • 公仁洞(コンインドン)
  • 南門洞(ナンムンドン)
  • 南山洞(ナムサンドン)
  • 南川洞(ナムチョンドン)
  • 内龍洞(ネリョンドン)
  • 大応洞(テウンドン)
  • 独山洞(トクサンドン)
  • 東門洞(トンムンドン)
  • 東部洞(トンブドン)
  • 労働者洞(ロドンジャドン)
  • 柳洞(リュドン)
  • 万寿洞(マンスドン)
  • 府倉洞(プチャンドン)
  • 北門洞(プンムンドン)
  • 西山洞(ソサンドン)
  • 石造洞(ソクチョドン)
  • 石峴洞(ソキョンドン)
  • 水砧洞(スチムドン)
  • 新門洞(シンムンドン)
  • 野鶴洞(ヤハクトン)
  • 煙石洞(ヨンソクトン)
  • 煙州洞(ヨンジュドン)
  • 淵豊洞(ヨンプンドン)
  • 外龍洞(ウェリョンドン)
  • 恩情洞(ウンジョンドン)
  • 義真洞(ウィジンドン)
  • 将子洞(チャンジャドン)
  • 忠誠洞(チュンソンドン)
  • 香炉洞(ヒャンノドン)
  • 興洲洞(フンジュドン)
  • 斗興里(トゥフンニ)
  • 新興里(シヌンニ)

歴史

高句麗渤海国女真の領域を経て、14世紀後半に高麗の統治下に入った。朝鮮王朝時代には北方防衛の要衝として機能した。

植民地期には平安北道に属し、その東北部を占める非常に広い郡であった。当時の郡域は、現在の満浦市時中郡長江郡前川郡龍林郡を含む。

年表

この節の出典[2]

  • 1949年12月 - 慈江道江界郡江界邑および公北面の一部が合併し、江界市が発足。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、慈江道江界市、長江郡公北面の一部地域をもって、江界市を設置。江界市に以下の里が成立。(26里)
    • 東部里・南門里・古営里・東門里・府倉里・万寿里・館前里・南山里・旧井里・明倫里・新門里・書院里・仁風里・江西里・社稷里・内龍里・外龍里・西山里・古堂里・柳洞里・淵豊里・石峴里・香炉里・斗興里・公貴里・公仁里
  • 1955年2月 (21洞5里)
    • 南門里が南門洞に昇格。
    • 古営里が古営洞に昇格。
    • 東門里が東門洞に昇格。
    • 府倉里が府倉洞に昇格。
    • 万寿里が万寿洞に昇格。
    • 館前里が館前洞に昇格。
    • 南山里が南山洞に昇格。
    • 旧井里が旧井洞に昇格。
    • 明倫里が明倫洞に昇格。
    • 新門里が新門洞に昇格。
    • 書院里が書院洞に昇格。
    • 仁風里が仁風洞に昇格。
    • 江西里が江西洞に昇格。
    • 社稷里が社稷洞に昇格。
    • 内龍里が内龍洞に昇格。
    • 外龍里が外龍洞に昇格。
    • 西山里が西山洞に昇格。
    • 古堂里が古堂洞に昇格。
    • 柳洞里が柳洞に昇格。
    • 淵豊里が淵豊洞に昇格。
    • 石峴里が石峴洞に昇格。
  • 1957年6月 (20洞5里)
    • 社稷洞が江西洞に編入。
    • 旧井洞および書院洞・館前洞の各一部が合併し、北門洞が発足。
    • 書院洞の残部・館前洞の残部が仁風洞に編入。
    • 古堂洞の一部が分立し、石造洞が発足。
    • 東門洞・南門洞の各一部が合併し、南川洞が発足。
  • 1961年3月 (25洞3里)
    • 時中郡興洲里を編入。
    • 東部里が分割され、野鶴洞・東部洞が発足。
    • 南川洞が南門洞に編入。
    • 明倫洞が南山洞に編入。
    • 石造洞の一部が分立し、煙州洞が発足。
    • 西山洞の一部が分立し、大応洞が発足。
    • 新門洞・淵豊洞の各一部が合併し、水砧洞が発足。
    • 香炉里および石峴洞の一部が合併し、香炉洞が発足。
    • 興洲里が興洲洞に昇格。
  • 1967年10月 (29洞3里)
    • 石造洞・煙州洞の各一部が合併し、煙石洞が発足。
    • 古営洞の一部が長江郡長坪里の一部と合併し、古界洞が発足。
    • 石峴洞・公仁里の各一部が合併し、仁可里が発足。
    • 公貴里が公貴洞に昇格。
    • 東門洞・野鶴洞の各一部が合併し、南川洞が発足。
  • 1976年2月 - 古界洞が将子洞に改称。(29洞3里)
  • 1981年2月 (31洞3里)
    • 西山洞の一部が分立し、独山洞が発足。
    • 古営洞が分割され、古営一洞・古営二洞が発足。
    • 仁風洞が忠誠洞に改称。
  • 1981年10月 (32洞2里)
    • 古堂洞が労働者洞に改称。
    • 公仁里が公仁洞に昇格。
  • 1995年12月 (33洞3里)
    • 時中郡義真里・双新里を編入。
    • 仁可里が恩情洞に昇格。
  • 1998年 - 双新里が新興里に改称。(33洞3里)
  • 1999年 - 義真里が義真洞に昇格。(34洞2里)

江界郡

  • 1361年 - 鎮辺・鎮成・鎮安・鎮嶺の4郡が置かれた。
  • 1401年 - 石州が置かれた。
  • 1403年 - 江界府が置かれた。
  • 1413年 - 江界都護府に昇格した。
  • 1895年 - 江界府は江界・慈城・厚昌の3郡を管轄する(二十三府制)。
  • 1896年 - 平安北道江界郡となる。
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道江界郡に以下の面が成立。(18面)
    • 江界面・龍林面・立館面・化京面・前川面・城干面・干北面・公西面・公北面・従南面・従西面・曲河面・漁雷面・吏西面・外貴面・文玉面・時中面・高山面
  • 1931年4月1日 (1邑16面)
    • 江界面および公西面の一部が合併し、江界邑が発足。
    • 公西面の残部が公北面に編入。
  • 1937年 - 文玉面が満浦面に改称。(1邑16面)
  • 1940年11月1日 - 満浦面が満浦邑に昇格。(2邑15面)
  • 1944年5月10日 - 慈城郡三豊面の一部が満浦邑に編入。(2邑15面)
  • 1946年 (17面)
    • 満浦邑が満浦面に降格。
    • 江界邑が江界面に降格。
  • 1949年1月 - 平安北道の分割により、慈江道江界郡となる。(7面)
    • 満浦面・時中面・吏西面・外貴面・高山面が新設の慈江道満浦郡に編入。
    • 前川面・化京面・立館面・龍林面・城干面・干北面が新設の慈江道前川郡に編入。
    • 咸鏡南道長津郡東門面を編入。
  • 1949年12月 - 江界郡廃止。
    • 江界面および公北面の一部が合併し、江界市となる。
    • 従南面・従西面・曲河面・漁雷面・東門面および公北面の残部が新設の長江郡に編入。

産業

軍需産業が盛んである。

交通

施設

出身者

脚注

注釈

  1. ^ 北朝鮮に駐在している外国の大使や賓客でも、江界への立ち寄りは許可されない[1]

出典

  1. ^ a b 北朝鮮のミサイル部品工場の地下施設(351号工場)”. 東京大学先端科学技術研究センター. 2022年1月16日閲覧。
  2. ^ 자강도 강계시 역사
  3. ^ デイリーNK「最高人民会議に欠席した金正日は江界を現地指導
  4. ^ 正恩氏、工場や教育施設視察=シャワー出ず叱責も-北朝鮮”. 時事通信 (2019年6月1日). 2019年6月2日閲覧。

外部リンク

座標: 北緯40度58分 東経126度36分 / 北緯40.967度 東経126.600度 / 40.967; 126.600


江界郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:01 UTC 版)

江界市」の記事における「江界郡」の解説

1361年 - 鎮辺・鎮成・鎮安・鎮嶺の4郡が置かれた。 1401年 - 石州置かれた。 1403年 - 江界府が置かれた。 1413年 - 江界都護府昇格した1895年 - 江界府は江界慈城・厚昌の3郡を管轄する二十三府制)。 1896年 - 平安北道江界郡となる。 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道江界郡に以下の面が成立。(18面)江界面・龍林面・立館面・化京面・前川面城干面・干北面・公西面・公北面・従南面・従西面曲河面・漁面・吏西面・外貴面・文玉面時中面・高山面 1931年4月1日 (1邑16面)江界面および公西面一部合併し江界邑発足。 公西面残部が公北面編入1937年 - 文玉面満浦面に改称。(1邑16面) 1940年11月1日 - 満浦面が満浦邑昇格。(2邑15面) 1944年5月10日 - 慈城郡三豊面の一部満浦邑編入。(2邑15面) 1946年 (17面)満浦邑満浦面に降格江界邑江界面に降格1949年1月 - 平安北道分割により、慈江道江界郡となる。(7面)満浦面・時中面・吏西面・外貴面高山面が新設慈江道満浦郡に編入前川面・化京面・立館面・龍林面・城干面・干北面新設慈江道前川郡編入咸鏡南道長津郡東門面を編入1949年12月 - 江界郡廃止江界面および公北面一部合併し江界市となる。 従南面・従西面曲河面・漁面・東門面および公北面残部新設長江郡編入

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