江戸時代 - 幕末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 15:10 UTC 版)
「日本における英語」の記事における「江戸時代 - 幕末」の解説
まず、日本にアルファベット(ラテン文字)が伝えられたのは、1500年代(ポルトガル・スペインなどの宣教師による)という説がある。 1600年にリーフデ号で漂着したウィリアム・アダムス(三浦按針、1620年没)は、豊後国に上陸した初のイギリス人とされる。その後、徳川家康の元で通訳などを務めた。 1808年のフェートン号事件を契機に、幕府は英語知識の必要性を感じたという。長崎の通詞らに命じ、ヤン・コック・ブロンホフの協力を得て1814年に完成したのが、史上初の英和辞典『諳厄利亜語林大成』だった。 1854年(黒船来航の翌年)締結の日米和親条約・日英和親条約を経て、1858年締結の日米修好通商条約の批准書交換のため、「万延元年遣米使節」が派遣された。その使節団の通訳だったジョン万次郎(中浜万次郎)が著した日本初の英会話教本『英米対話捷径』には、全213の日常会話対訳が掲載され、漢文のような返り点が打たれていた。 鎖国が解かれた関係で、1860年代には長崎港・横浜港などの条約港にトーマス・ブレーク・グラバーをはじめとするイギリス商人が居住していた。1861年には長崎・大浦居留地で、日本初の英字新聞とされる『ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー』が刊行された。翌1862年には日本初の本格的刊本英和辞典『英和対訳袖珍辞書』(堀達之助他編)が刊行された。
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