永遠の作家叢書
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バーゼル大学教授のアルベール・ベガン(フランス語版)は、戦時中の1942年にスイスで「ローヌ手帖」叢書を創刊し(「ローヌ」はスイスとフランスをつなぐローヌ川の意)、地元のバコニエール社から刊行。対独レジスタンスの詩人の作品を刊行して支援し、戦後、大学を辞任して渡仏し、スイユ社から「ローヌ手帖」叢書を再刊し、編集責任者に就任した。彼は1950年に急死したムーニエの後任として『エスプリ』誌の編集長に就任し、1957年に死去するまで務めることになるが、1951年にスイユ社初のペーパーバック版「永遠の作家(Ecrivains de toujours)」叢書を創刊し、ジャン=ポール・サルトル主宰の『レ・タン・モデルヌ』誌に寄稿していた哲学者のフランシス・ジャンソンが編集長に就任した。この叢書は、「作家自身による作家」という一貫した書名で、「他の作家が紹介するイマージュとテクスト」という副題である。たとえば第1号は「ヴィクトル・ユーゴー自身によるヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo par lui-même)」という書名で、アンリ・ギィユマン(フランス語版)が執筆し、「アンリ・ギィユマンが紹介するイマージュとテクスト」としている。1951年にはこの他、クロード・ロワによるスタンダール、フランシス・ジャンソンによるモンテーニュ、ジャン・ド・ラ・ヴァランド(フランス語版)によるフローベール、アンドレ・パリノー(フランス語版)によるコレット、アルベール・ベガンによるパスカルの5号まで刊行された。これらの「永遠の作家」叢書の一部は、人文書院の「永遠の作家叢書」として刊行されている。 ベガンとともにスイユ社初期に重要な役割を担ったのは作家ジャン・ケロール(フランス語版)である。1947年にスイユ社から刊行された小説『他人の愛を生きん』が同年のルノードー賞を受賞したほか、マウトハウゼン強制収容所での体験に基づいて短編映画『夜と霧』(アラン・レネ監督、1955年制作、1956年上映)の脚本を書いたことでも知られる彼は、1950年代初頭にスイユ社の編集委員になり、1970年代末まで、フィリップ・ソレルス、ディディエ・ドゥコワン(フランス語版)、ロラン・バルト、エリック・オルセナ(フランス語版)、ベルトラン・ヴィザージュ(フランス語版)、マルスラン・プレネ(フランス語版)、ドゥニ・ロッシュ(フランス語版)、カテブ・ヤシーンらの作家を紹介した(これらの作家はその作品の多くがスイユ社から刊行されている)。
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