水質汚染とその回復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:24 UTC 版)
沿川の急激な都市化に伴う生活排水の流入、および支流の水源となっている多摩丘陵や武蔵野台地での宅地開発に伴う森林破壊による水源枯渇が相まって、多摩川の水は著しく汚染された。 それまで飲み水を供給していた田園調布取水堰は、1970年に水質悪化で上水道に不適となった。1972年の11月1日と12月3日には、丸子橋から六郷橋にかけて魚が数百から数千匹が浮き上がる事象が発生。河川水からシアンが検出された。当時、多摩川周辺に9件のメッキ工場などがあり、立ち入り検査が行われたが流出させた工場は特定できなかった。もっとも汚れていたのはこの1970年前後で、その後は下水道整備と排水規制により、水質が徐々に改善していった。 1981年に読売新聞記者の馬場錬成の働きかけで、多摩川にサケを放流する計画が始まった。同年秋に「多摩川にサケを呼ぶ会」が結成され、1984年に最初のサケが遡上した。当時日本の各地で実施されたカムバック・サーモン運動の一つである。多摩川にサケを呼ぶ会は東京にサケを呼ぶ会、多摩川サケの会と改称し、2010年まで放流を続けた。 また宿河原堰などへの魚道設置といった工夫と相まって、再び鮎が遡上するようになっており、白鷺やコアジサシといった鳥類の採餌を支えるまでに回復してきている(#生態系を参照)。 現在では河川敷に親水施設などが設けられ、近隣住民の憩いの場として利用されるている。急激な水質汚染とその急回復を経験した多摩川は、環境保全に向けた更なる努力の必要性を象徴する場として、多くの市民活動の舞台ともなっている。
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