民族を超えた混交の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:09 UTC 版)
農村部では、アメリカ南東部のアパラチア山脈周辺でイギリスやアイルランドの民謡や舞曲がアメリカの音楽の下地となっていった。これらはフィドル(ヴァイオリン)やギターで伴奏されていたが、やがて黒人音楽との接触からブルースの感覚やバンジョーというアフリカ起源の楽器を取り入れたり、スイスのヨーデルやチェコのポルカの要素を取り入れたりして、オールドタイムやブルーグラス、ヒルビリー、カントリーなどと呼ばれるジャンルのもとになっていく。 黒人たちには18世紀後半あたりからキリスト教が普及し、黒人たちも讃美歌で礼拝をおこなうようになったが、彼ら固有の音楽的な伝続からか、活気あるリズム・交互唱(コールアンドレスポンス)・叫ぶような唱法など、相当荒々しい形で礼拝をおこなっていたようである。1863年の奴隷解放以後には、そこから黒人霊歌と呼ばれるジャンルが生まれるが、これは白人がリーダーになってヨーロッパの讃美歌風の和音をつけ、楽譜として売り出したものであり、多くの曲が知られているが純粋に黒人のものとは言えない。それに対して黒人のリズム感や叫ぶような唱法を特徴とする歌はゴスペルと呼ばれるようになる。同じく奴隷解放後には、南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を呟くように吐き出す歌としてブルースが発生し、ギターの伴奏を伴う中でヨーロッパの和声構造を身につけていった。
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