比喩・文学的表現としての「涙」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:44 UTC 版)
「涙」の記事における「比喩・文学的表現としての「涙」」の解説
前述のように、涙を流す行為は感情の変化によって引き起こされる。このため「涙」は、苦痛や後悔、感動といった強い感情や、それをもたらした出来事の比喩・象徴として古来使われる。感動した時の涙を「感涙」、同情などによるもらい泣きを「涙腺が緩む」、悲しみの涙を「悲涙」、強い悲しみや怒りを「血の涙(血涙)を流す」と表現することもある。日本において、悲しみを血の涙と喩えた例としては、平安時代の『伊勢物語』第40段に見られ、少なくとも11世紀には使用が確認される表現である。 涙と同じ読み方(訓読み「なみだ」、音読み「るい」)で「泪」という字を当てることもある。江戸時代に江戸に2カ所あった泪橋は、処刑場手前で罪人と別れる場として名付けられたものである。 書籍、文学作品、音楽のタイトルや文章・歌詞にもしばしば登場する。 また涙が滴として流れ落ちる形を「涙滴(teardrop)型」といい、潜水艦の船殻(en:Teardrop hull)やアクセサリーの形を表現する際に使うことがある。 映画ターミネーター2では、劇中でアーノルド・シュワルツェネッガー演ずるサイボーグT-800が、母親に対して流す主人公の涙を見て、「何故泣くんだ?」と質問するシーンがある。ストーリー終盤主人公との別れ際に、人間の涙には生命の尊厳に裏打ちされた感情表現があることを知り、「人がなぜ泣くのか、今は分かった。俺は涙を流すことはできないが」というセリフを遺し、自ら溶鉱炉に入り、消えていくシーンで結ばれている。
※この「比喩・文学的表現としての「涙」」の解説は、「涙」の解説の一部です。
「比喩・文学的表現としての「涙」」を含む「涙」の記事については、「涙」の概要を参照ください。
- 比喩文学的表現としての「涙」のページへのリンク