毎日放送から朝日放送へ
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「日曜笑劇場」の記事における「毎日放送から朝日放送へ」の解説
1975年の腸捻転解消にあたり、近畿圏以外では『大正テレビ寄席』が視聴者の支持を得ていたこともあって大正製薬はNET系列での企画ネットによる出稿を継続すると表明。スポンサーごと朝日放送に移動する形でこの番組が立ち上げられた。しかし、朝日放送では通常の吉本新喜劇公演の中継として『お笑い花月劇場』が既に存在し、同一趣旨の番組を2本引き受けることには難色もあった。その上、毎日放送との出し物の重複も懸念された。このため、公開録画の会場は『お笑い花月劇場』ですでに実績のあったなんば花月を使うことにしたが、通常の新喜劇興行とはまったく違う企画として、新喜劇に参加していないベテランや売れ線に乗ってきた若手芸人と現役の新喜劇団員が同じ舞台に立って交流するという、新しい形が提起された。 詳細は「お笑い花月劇場#概要」を参照 こうした企画内容を受けて、全国的に知名度のある芸人が参加した作品については、関東地区でも東京12チャンネルやNETテレビ→テレビ朝日が番販購入して放送することがあった。またテレビ朝日は『お笑い花月劇場』も番販購入して関東での放送を再開したことがある。 大正製薬という強力なスポンサーを失った毎日放送は『サモン日曜お笑い劇場』を『花月爆笑劇場』と改題し、『お笑い花月劇場』にぶつける形で土曜日午後に移動、吉本興業と共同で地場のスポンサーを開拓していくことになる。また日曜12時台にはJNN排他協定の絡みで同時ネット義務のあった正午からのJNNニュース(腸捻転時代には当然、朝日放送が放送していた)と、『日曜お笑い劇場』の後続番組だった『がっちり買いまショウ』を移動した。 詳細は「よしもと新喜劇#ネットワーク変更以降」を参照
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