歴史上のモンゴル系民族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:10 UTC 版)
「モンゴル系民族」の記事における「歴史上のモンゴル系民族」の解説
諸説あり、確証はないが、わずかでもモンゴル系民族とされている民族を以下に挙げる。 東胡…近年は鮮卑(とくに拓跋部)の言語がモンゴル系であること、東胡時代の遺跡や遺物から鮮卑や烏丸に特徴的な習俗の痕跡が発見されていることから、東胡もモンゴル系とみる解釈が有力視されている。 鮮卑…古くは テュルク系であるとする説があったが、近年になって鮮卑(特に拓跋部)の言語、鮮卑語はモンゴル系であるという説が有力となっている。 烏桓…『三国志』や『後漢書』に「鮮卑の言語は烏桓と同じである」とあることから、鮮卑の言語がモンゴル系だとすれば、烏桓の言語もモンゴル系となる。 柔然…可汗名の研究により、モンゴル系であるとされている。 契丹…白鳥庫吉は中国史書から契丹語を抽出し、これを当時の北アジア諸民族の言語と比較した結果、ある単語はモンゴル語、またある単語はツングース語で解きえるとし、契丹語はモンゴル語とツングース語の混成であると推論、現代でいえばソロン人かダフール人かのどちらかに該当するとした。さらにソロン人とダフール人の使用する数詞と、中国の史書の中から抽出した契丹語の数詞「一、五、百」の三語を対照させて、それがダフール語に最も近似しているとした(1912年)。またロシアのニコラス・ポッペの研究によってダフール語はモンゴル語の古形をとどめるモンゴル語の一方言であることが明らかにされた(1934年)。よって、契丹語はモンゴル語の古形をとどめるモンゴル語の一方言に最も近い言語と考えてよい。 室韋…中国の史書によると、室韋の言語は庫莫奚,契丹,豆莫婁と同じであることから、モンゴル系である可能性が高い。 奚…中国の史書によると、室韋の言語は庫莫奚,契丹,豆莫婁と同じであることから、モンゴル系である可能性が高い。 豆莫婁…中国の史書によると、室韋の言語は庫莫奚,契丹,豆莫婁と同じであることから、モンゴル系である可能性が高い。 九姓タタル 烏古 阻卜 タタル部 ケレイト…ラシードゥッディーンは『ジャーミ・ウッ・タワーリーフ(集史)』において、中央ユーラシア草原の遊牧民を大きく四つに分類し、第三類「以前は独立した首長を持っていたが、第二のテュルク部族とも第四のモンゴル族ともつながりはなく、しかし外観や言語は彼らと近いテュルク部族」にケレイトを含めている。つまり、テュルク系ではあるが、モンゴル系に近い言語、もしくはテュルク系とモンゴル系の中間に位置する言語であったと推測される。そのため、ケレイトはテュルク系ともモンゴル系ともされている。 オイラトトルグート ホシュート ホイト バートト ドルベト ジュンガル エルクト・モンゴル族
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