歴代 醍醐新兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 09:46 UTC 版)
醍醐家は、関東(房総)捕鯨の祖と云われ、初代定明の時に勝山組と岩井袋組の船団を組織化し、江戸湾・浮島でツチクジラを捕獲した。定明以来代々醍醐 新兵衛を称し、捕鯨業の総網元・大名主として村を指導した。近代になると製油産業や缶詰工業を興し、盛大ならしめたが、嫡子がなく11代目で廃絶してしまった。 初代 醍醐新兵衛 - 定明(さだあき、1630年- 1704年)。 関東捕鯨の祖。 2代目 醍醐新兵衛 - 明広(あきひろ、1672年- 1744年)。 定明の末子。 3代目 醍醐新兵衛 - 明定(あきさだ、1698年- 1780年)。 明広の嗣子。精白と号し、字は素仙、通称新兵衛。 4代目 醍醐新兵衛 - 定恒(さだつね、1737年- 1815年)。 明定の長子で通称小平次。 5代目 醍醐新兵衛 - 定昌(さだあき、1768年- 1803年)。 定恒の長子で通称新平・字は子盛。蝦夷地鯨漁を請け負う。 6代目 醍醐新兵衛 - 定好(さだよし、1787年- 1811年)。 定昌の次子。 7代目 醍醐新兵衛 - 定香(さだか、1796年- 1840年)。 定昌の次子、通称新平。 8代目 醍醐新兵衛 - 定緝(さだつぐ、1827年- 1862年)。 定香の長子。蝦夷地経営を行いつつ、大洋捕鯨を志望。藤川三渓と争い洋式捕鯨を計画。 9代目 醍醐新兵衛 - 定固(さだかた、1837年- 1895年)。 定香の次子。蝦夷地開拓に貢献し、明治維新後鯨油輸出、自治行政に貢献 10代目 醍醐新兵衛 - 徳太郎(とくたろう、1852年- 1904年)。 定香の長子。伊豆大島に魚場を開拓、勝山に製油所を設置、缶詰工業を興した。 11代目 醍醐新兵衛 - 新司(しんじ、1878年- 1937年)。 徳太郎の庶子。館山関沢晴清の工場にて缶詰製法について研究。
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