武陵地1号古墳から出土した富本銭
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「武陵地古墳群」の記事における「武陵地1号古墳から出土した富本銭」の解説
奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部が奈良県明日香村の飛鳥池工房遺跡から出土した富本銭が700年以上も前に鋳造された銅銭であることを確認し、1999年(平成11年)1月19日に発表した。翌朝このニュースを知った高森町の女性(この女性の宅地に武陵地1号古墳がある)が、高森町歴史民俗資料館に「武陵地1号古墳から出土して自宅の土間で保管、1985年(昭和60年)に高森町歴史民俗資料館に寄託していた古銭が、この古銭に似ているのではないか?」と連絡、確認を申し入れた。これを受け本人立ち合いのもと展示物を確認、1月25日に同様のデザインのものが収蔵されていることを確認した。高森町は1月27日、この古銭と他の副葬品十余点を奈良国立文化財研究所に持ち込み、鑑定を依頼した。 1999年(平成11年)3月23日、高森町役場にて記者発表が行われ、鑑定依頼していた古銭が奈良県明日香村の飛鳥池古墳などから出土した富本銭と同じものであるという結果が出たことを発表。古墳への副葬は7世紀後半の追葬ではないかと推測されることもわかった。3月25日から29日まで、高森町歴史民俗資料館でこの富本銭が一般公開された。富本銭の出土が確認されたのは、近畿以外で初。 この富本銭の大きさは直径2.41×2.38cm、厚さ0.13cm、重さ3.02g。表面に縦並びで「富」「本」の文字があり、左右に7個の星が描かれる。飛鳥池遺跡で出土したものと比較すると、直径がわずかに小さく、軽い。この富本銭の出土時期は下伊那誌編纂会が1955年に出版した『下伊那史 第二巻 原史時代上』の「およそ五十年ほど前に発掘した。」という記述から、明治期と考えられている。 1999年6月9日、高森町文化財調査委員会が高森町教育委員会に富本銭の町文化財指定を答申し、町教委は答申通り指定することを決定した。 2000年(平成12年)2月3日、長野県教育委員会が定例教育委員会に於いて長野県文化財保護審議会に諮問を決定、同審議会は2月9日に諮問通りに県教委に答申、県教委は3月27日付で「下伊那出土の富本銭・和同開珎銀銭」の名称で長野県宝に指定。。 なお、武陵地1号古墳のある高森町下市田に隣接する飯田市座光寺の民家が保管していた古銭も、奈良国立文化財研究所によって富本銭であることが確認されている。
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