武陵地1号古墳から出土した富本銭とは? わかりやすく解説

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武陵地1号古墳から出土した富本銭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:16 UTC 版)

武陵地古墳群」の記事における「武陵地1号古墳から出土した富本銭」の解説

奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部が奈良県明日香村飛鳥池工房遺跡から出土した富本銭700年以上も前に鋳造され銅銭であることを確認し1999年平成11年1月19日発表した翌朝このニュース知った高森町女性この女性の宅地武陵1号古墳がある)が、高森町歴史民俗資料館に「武陵1号古墳から出土し自宅土間保管1985年昭和60年)に高森町歴史民俗資料館寄託していた古銭が、この古銭似ているではないか?」と連絡確認申し入れた。これを受け本人立ち合いのもと展示物確認1月25日同様のデザインのものが収蔵されていることを確認した高森町1月27日、この古銭と他の副葬品十余点を奈良国立文化財研究所持ち込み鑑定依頼した1999年平成11年3月23日高森町役場にて記者発表が行われ、鑑定依頼していた古銭奈良県明日香村飛鳥古墳などから出土した富本銭と同じものであるという結果出たことを発表古墳への副葬7世紀後半追葬ではないか推測されることもわかった3月25日から29日まで、高森町歴史民俗資料館でこの富本銭一般公開された。富本銭出土確認されたのは、近畿以外で初。 この富本銭大きさ直径2.41×2.38cm、厚さ0.13cm、重さ3.02g。表面縦並びで「富」「本」文字があり、左右に7個の星が描かれる飛鳥遺跡出土したものと比較すると、直径わずかに小さく、軽い。この富本銭出土時期下伊那編纂会が1955年出版した下伊那第二巻 原史時代上』の「およそ五十年ほど前に発掘した。」という記述から、明治期考えられている。 1999年6月9日高森町文化財調査委員会高森町教育委員会富本銭の町文化財指定答申し、町教委答申通り指定することを決定した2000年平成12年2月3日長野県教育委員会定例教育委員会に於いて長野県文化財保護審議会諮問決定、同審議会2月9日諮問通りに県教委答申、県教委3月27日付で「下伊那出土富本銭和同開珎銀銭」の名称で長野県宝指定。。 なお、武陵1号古墳のある高森町下市田隣接する飯田市座光寺民家保管していた古銭も、奈良国立文化財研究所によって富本銭であることが確認されている。

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