歌詞二番「秋陣営の…」は、
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「荒城の月」の記事における「歌詞二番「秋陣営の…」は、」の解説
大変厳しい戦いを示した。 会津藩士の砲術家、山本八重(新島襄の妻)が落城を悟り九月二十二夜「明日よりはいづくの誰か眺むらん 馴れし大城に残る月影」と一首の歌を書き残したという逸話が、晩翠の心に深い感銘となって刻み込まれたと伝わっている。 晩翠は、謙信が石動山城で勝利の確信から名月に詠んだ"九月十三夜陣中作"の「霜は軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁月三更 越山併せ得たり能州の景 遮莫あれ家郷の遠征を憶う」とズバリ明(および暗)の対照を行っている。晩翠の謙信との精神的結びつきの強さをも表し、この歌詞二番では謙信の"九月十三夜陣中作"をオマージュして晩翠がへりくだった構図をとる。 雁は、主に東北地方や北陸地方共通に越冬する渡り鳥。謙信は、精鋭飛来による勝利を表すのに対し、晩翠は、倒れる多くの武士を表したと見られる。 晩翠は、戦いにより地に突き刺し捨てられた剣を「植うるつるぎ」とし、武士の時代およびその戦いの終焉を表した。東の月は「倒れた武士の姿を映すつるぎを照らしている」のである。なお、既に戊辰戦争では専ら刀の斬りあいではない。この表現は、晩翠が戦国期の謙信が剣を翳す「植うる剣」と時間的、意味的、空間的対比を行ったことによる。晩翠は、東の月に謙信が戦場とした麓の神保氏富山城など辺りに地に刺さる「植うるつるぎ」の光景を見出している。それを、悠久の時を超えて詩に用いて二重三重の対照化をしている。 実際に、晩翠であれ誰であれ能登から仰ぎ見て目に映るのは、富山湾に写る謙信の「名月に照らされた剣の立山」のみである。そこで晩翠はこの地に植うる剣の美しさにインスパイアされて表現に転用している。 時を超えて神保氏は会津藩士となり、会津戦争を戦い松平容保家老の神保内蔵助などが壮絶な死を迎える。 謙信は、家郷を空間的に振り返り武功を詠むのに対し、晩翠は栄華を時間的に振り返り悲哀を詠んでいる。 また、謙信との対照化は歌詞一番三番四番に渡っておこなれている。
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