歌詞一番「春高楼の…」は、
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:32 UTC 版)
「荒城の月」の記事における「歌詞一番「春高楼の…」は、」の解説
栄華の回想から暗示する。 朔詩である。盃かげさしては、名月と対比されている。盃は、月を示し逆に写す器で「さかつき」は「逆月」と読み替えられる。過去に遡る意と朔月(昼の月)から始まる意がある。 「千代」とは非常に長い年月を意味し、「千代木」(ちよき)が松の異名であることから、松には長い年月が刻み込まれていると考えられている。その松の枝を分けて昔の「光」を探す情景は、憂いがあって美しい。 また、この詩は「千代の松」を象徴的に、松平竹千代とする説がある。徳川の子孫を示し、晩翠は徳川御連枝会津保科家の鶴ヶ城の解体された本丸(垣)も見ている。 一方、この詩は「千代」を「ちよ」とよんでいるが、伊達政宗が「千代」(せんだい)を「仙台」(仙臺)と書き改め、現在の仙台市につながっているため、仙台出身の土井晩翠が「仙台」の掛詞である「千代」と書き、「ちよ」と読みを替えて「仙台」のことを暗に示しているとも考えられる。その場合、「千代の松」は「仙台(城)の松」となるが、「千代」は「長い年月」の意味もあるので両方を掛け合わせたととった方がよい。ちなみに、「仙台」とは「仙人の住む高台」を意味し、伊達政宗が住む山城の仙台城(青葉城)を示している。仙台城という城の名前から城下町も仙台となった。また、松平陸奥守仙台城は戦禍を免れ顕在した高楼のお城であったが、晩翠は解体された本丸跡(垣)や高楼の二の丸を見ている。 更に、晩翠は富山城の解体された本丸、西の丸跡(垣)も見ている。この詩の背後に、松平前田藩邸跡の東京大学で晩翠が詩を構想した際に松平前田御連枝の富山城を写し込んだと考えられている。 また、高楼は、幕政および幕藩体制を表すと考えられる。花の宴は同盟や養子縁組など、政略的な縁組と思われる。 また、仙台藩も前田藩も徳川家康の姫(孫)を迎えている。
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