歌手活動の一時的休止とその後
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「ジェラール・ルノルマン」の記事における「歌手活動の一時的休止とその後」の解説
1983年に5週間にわたりパレ・デ・コングレ・ド・パリに聴衆をいっぱいに満たしたコンサートが絶頂期であるとされる。1986年に映画の Top Gun の主題歌をフランス語に訳した歌 Le Bleu des regrets を歌う。しかしその翌年に、レコード会社との契約の問題や、ディスコ=ファンクの流行に彼の端正なシャンソンが負けることなど、さまざまな事情が絡み合って、ルノルマンはしばらくの間、歌手活動を休止することにした。 その後、新アルバムHeureux qui communique の発表で復帰を期待したが、比較的目立たない売れ行きであった。同年にルノルマンはユーロヴィジョン歌唱コンクールにフランス代表として選ばれる。このコンクールは一般的には売り出し中のアーティストが参加するものであるが、ベテランのルノルマンが選ばれたのは SACEM の意向が大きく働いていた。ルノルマンは開催地のダブリンで、作詞作曲を手がけた Chanteur de charme (作詞はクロード・レメルとの共同)を歌い、全20人の参加者中、10位という控えめな順位で終わった。コンクール後、ルノルマンはプレスに、票が国別に分散してしまうのがユーロヴィジョンの問題だと語った。 その後ルノルマンは、コンピレーション・アルバムを制作したりイベントに参加したりしたほか、ロックバンドのアンドシーヌやイマジネーション(フランス語版)のプロデュースに関わった。 1995年に出したコンピレーション・アルバム Vos plus belles chansons は、過去の楽曲の再録である。このころルノルマンはフランスとケベックを往復して活動し、2000年には新アルバム La Raison de l'autre avec を発表したり、新曲 La Force d'aimer を歌ったりした。 ルノルマンは、2010年よりあとは定期的に舞台に上がらなくなった。 2011年10月に、ルノルマンを尊敬する歌手と一緒にデュオを歌うという企画のアルバム Duo de mes chansons を発表する。集まった複数の歌手の世代はさまざまで、中には Si j'étais président をフラメンコのアレンジで歌った Chico et les Gypsies もいる。アルバムは、2012年1月までに30万枚を売り上げた。なお、同様の企画アルバムをミシェル・デルペシュ(フランス語版)が2004年に出し、ヒットしており、本アルバムはそれに倣ったものである。 2011年末には女性歌手のアングンとコラボして Il を歌った。この歌唱はアングンのアルバム Echoes の限定版に収録されている。 2012年には慈善活動として Je reprends ma route というシングル曲の制作に参加した。 2016年11月にはラトゥルネ・アジュ・タンドルにシェイラやユグ・オフレらとともに参加した。この音楽イベントは往年の名歌手が出演するもので、ルノルマンは長年出演を辞退していたものであった。
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