機能の変化とは? わかりやすく解説

機能の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 22:45 UTC 版)

朝堂院」の記事における「機能の変化」の解説

藤原宮の頃を頂点として、次第政事庶務中心朝堂院から周辺官衙移っていき、朝堂院での政務そのもの儀式化傾向進み主として朝賀即位饗宴など、主として朝廷盛典儀礼用いられるようになったまた、それにともなって朝堂一郭規模は、藤原宮頂点時代を下るごとに縮小化傾向がみられた。儀式化した政務陣定などの評定訴訟複合していったが、これらは総称して公事よばれた朝堂殿舎のつくりをみると、平城宮頂点四面庇から二面庇へ、さらには庇なしへ、屋根構造も入母屋または寄棟から切妻へと、簡素化傾向みられる。これは、朝政盛衰深くかかわる変化であろう推定される朝堂配置の面では、平城宮までは天皇起居する内裏朝堂院接していたが、長岡宮いたって完全に分離するいっぽう、本来は内裏前殿であった大極殿がむしろ朝堂正殿としての性格強め平安宮では大極殿前面回廊取り払われて、大極殿朝堂一郭が完全に一体化した大極殿朝堂朝集殿全体呼称する「朝堂院」の語も長岡京時代生まれた。 こうして公的な政務の場である朝堂院と天皇私的空間である内裏分離されたが、律令体制変質によって、以上のような平面変化がかえって内裏政治新たな中心の場とし、朝堂院はむしろ全体として儀式の場としての性格をいっそう強く帯びることとなった院政経て武士政権成立すると、朝堂院担ってきた役割や機能にもはや積極的な意義は見いだせなくなった。それが安元の大火以後、ついに朝堂再建されなかった理由であると考えられる

※この「機能の変化」の解説は、「朝堂院」の解説の一部です。
「機能の変化」を含む「朝堂院」の記事については、「朝堂院」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの朝堂院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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