機材・路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:49 UTC 版)
連合軍の日本上陸後、日本による飛行は禁止されていたが、日本政府の要請により、終戦処理連絡飛行がGHQの許可(SCAPIN23号)により実施されることになった。許可されたのは次の機材・路線である。 機材:MC-20・ダグラス DC-3・九七式大艇(大日本航空)、九七式重爆撃機・一〇〇式輸送機・一〇〇式司令部偵察機(陸軍)、一式陸上攻撃機・機上作業練習機「白菊」(海軍)など計27機 航空路:東京-大阪-福岡(第一航空路)、東京-名古屋-大和-大阪-高松-岩国-大分-福岡(第二航空路)、東京-仙台-青森-札幌(第三航空路)、東京-新潟-富山-福知山-大阪(第四航空路) 組織要員:海軍250名、大日本航空50名、陸軍50名で構成された混成組織 輸送対象者および物件:終戦連絡事務処理のため緊急を要する人員および郵便物と貨物 搭乗・搭載申込所掌担当:旧航空局臨時定期航空管理部 座席予約・航空券の発売等一般営業業務担当:大日本航空株式会社 この緑十字飛行は、1945年10月10日のGHQによる航空機の全面飛行禁止の指令が出されて運行を終了し、1951年(昭和26年)に日本航空による民間飛行が開始されるまで日本の航空機関は皆無となった。 多くの緑十字機は役目を終えると飛行場に放置され、後に解体された。
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