横浜港の開港と鉄道の創業とは? わかりやすく解説

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横浜港の開港と鉄道の創業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:06 UTC 版)

高島線」の記事における「横浜港の開港と鉄道の創業」の解説

横浜港1859年安政6年)に開港となったが、この時点では現在の大桟橋根元付近に2本の突堤があるだけの港湾設備であった1864年元治元年)に、現在氷川丸保存されている付近に2本の突堤増設され、従来からの突堤を西波止場あるいはイギリス波止場新し突堤を東波止場あるいはフランス波止場称した1866年慶応2年11月横浜大火見舞われ、その再建工事にあたってイギリスより招かれリチャード・ブラントン横浜都市計画港湾計画進め、また東京横浜を結ぶ鉄道の建設提案することになった明治5年5月7日グレゴリオ暦1872年6月12日)、新橋 - 横浜間で建設中であった日本最初鉄道のうち、横浜側の完成した部分利用して品川 - 横浜間での仮営業始まった同年9月12日グレゴリオ暦10月14日)、明治天皇迎えて開業式挙行され正式に新橋 - 横浜間の営業開始された。この時開業した横浜駅は後の桜木町駅で、横浜外国人居留地波止場近づけることなく野毛山の下の現在の位置設置された。これは、大岡川を渡る橋を架けることを嫌ったためではないか推測されている。これに先立って明治4年8月8日1871年9月22日)に横浜駅構内の海側に横浜機関庫開設されている。 ブラントン鉄道の開通受けて、港の埠頭まで鉄道引き込むことを提案するが、これは実現しなかった。一方、やはりお雇い外国人ヘンリー・S・パーマーもまたこの時期政府依頼横浜港修築計画進めており、これにより西波止場から沖に突き出した大桟橋建設された。計画では、この大桟橋横浜駅を結ぶ臨港鉄道建設されることになっていたが、鉄道予定地に当たっていた日本郵船回漕業者が艀の荷揚げ地を線路分断されることを恐れて反対し、結局税関構内桟橋を結ぶ線路敷設されただけで新橋 - 横浜間の一般鉄道網へは接続されなかった。この桟橋内の路線は4線(後に5線)が並列敷かれており、合計150両の貨車貨物搬出入に当たっていた。しかし、旅客用波止場であったこともあり、後に廃止された。

※この「横浜港の開港と鉄道の創業」の解説は、「高島線」の解説の一部です。
「横浜港の開港と鉄道の創業」を含む「高島線」の記事については、「高島線」の概要を参照ください。

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