横浜市営地下鉄3号線の計画
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「横浜高速鉄道みなとみらい線」の記事における「横浜市営地下鉄3号線の計画」の解説
「横浜市営地下鉄#計画廃止路線」も参照 1966年(昭和41年)の都市交通審議会答申第9号で、本牧-山下町-伊勢佐木町-横浜-新横浜-勝田(港北ニュータウン付近)の路線が計画されたことが発端になっている。これを受けて横浜市は前年に発表した横浜市六大事業の高速鉄道建設事業に組み込み、1967年(昭和42年)3月には横浜市営地下鉄3号線として上大岡駅-港町(現 JR関内駅)・北幸町(横浜駅)-山下町(横浜マリンタワー付近)の鉄道事業免許を取得した。海岸通り直下の地盤が予想以上に悪かったため、1973年(昭和48年)に北幸町-山下町の区間を1つ南側の国道133号(通称 コンテナ街道・本町通り)直下を通る尾上町(現 横浜市営地下鉄関内駅)-山下町(現 元町・中華街駅)への経路変更も行われた。しかし当時は首都高速神奈川1号横羽線・首都高速湾岸線が存在しなかったため、国道133号に交通が集中して慢性的な渋滞が発生しており、地下鉄の建設工事でさらに悪化して横浜港の貨物輸送に支障をきたすことを懸念した横浜港湾労働組合協議会・横浜船主会などから、工事延期を願う陳情書が提出され、建設反対運動も行われた。その結果、横浜-尾上町(関内駅)については横浜市営地下鉄1号線との直通運転という形で1976年(昭和60年)9月に先行開業したものの、尾上町-山下町については運輸大臣の認可が下りず、建設に着手することができなくなってしまった。なお1990年(平成2年)4月にみなとみらい線が鉄道事業免許を取得したため、重複区間である横浜市営地下鉄3号線の尾上町-山下町の鉄道事業免許は同日付けで廃止された。
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