楸邨山脈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:33 UTC 版)
楸邨が創刊から終生まで主宰した『寒雷』では、上述のような楸邨自身の作風の幅広さを反映し、伝統俳句系の森澄雄、社会性俳句から前衛俳句に進んだ金子兜太という対照的な二人を初めとして多様な俳人が育った。楸邨は「俳句の中に人間の生きること」という、創刊以来の命題は変えなかったが、指導においては修辞などについてとやかく言わず各自の方法に任せたという。また弟子という言葉を嫌い、門人を「仲間」と呼んで対等に議論し合える関係を望んだ。戦時下においては新興俳句運動が弾圧の対象となった中、当時の情勢においてはかなり危険な「人間の探求」を掲げていたにもかかわらず『寒雷』は弾圧の対象となることを免れており、結果として『寒雷』は当時の俳壇において「ほとんど唯一の革新的な俳句の命脈」(三橋敏雄)を保つこととなった。 『寒雷』出身の作家としては、佐久間東城、豊山千蔭、秋山牧車、藤村多加夫、小野蒙古風、相葉有流、赤城さかえ、古沢太穂、原子公平、寺田京子、金子兜太、矢島房利、猪俣千代子、安東次男、森澄雄、田川飛旅子、小檜山繁子、桜井博通、加藤知世子、銀林晴生、沢木欣一、小西甚一、川崎展宏、和知喜八、熊谷愛子、齊藤美規、久保田月鈴子、平井照敏、石寒太、今井聖、森田公司などを挙げることができる。その多さと多様さとから、これを「楸邨山脈」という。 楸邨の没後の『寒雷』は主宰を置かず、同人組織によって運営が行われており、投句選者を前田正治、ついで1996年7月より楸邨の次男・冬樹の妻加藤瑠璃子が選者を務め、2008年からは編集長も兼務していたが、2018年7月号を以て終刊。同人会による『暖響』へと受け継がれている。
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