極真の看板を守り抜くとは? わかりやすく解説

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極真の看板を守り抜く

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:19 UTC 版)

極真会館」の記事における「極真の看板を守り抜く」の解説

オープントーナメント”と謳った全日本選手権は、「空手界の各流派もちろんのこと武道全般拳法ボクシング・キックボクシング等、誰でも参加できる」というキャッチフレーズ参加呼びかけ行った韓武舘をはじめ、申し込みをした選手半数他流派で、なかには柔道参段で体重100キログラムを超すギドン・ギダリー(イスラエル)、黒人ヘビー級ボクサーポール・ジャクソン(アメリカ)、ムエタイのランキングボクサー、ビラホン・ハンピーン、サカオ・チャルムーン、サマンソー・アディソン(以上タイ)と、他格闘技からもエントリーしてきたことで、さながら異種格闘技戦”の様相呈していた。無差別級直接打撃制によるKO決定するとし、反則は「顔面への正拳肘打ち貫手」「頭突き」「金的攻撃のみで、投げ掴み認められていた。6時間にわたる激し試合展開となったが、キックボクシングでも活躍した山崎照朝優勝添野義二準優勝主催者である極真会館選手上位守った大山倍達も「これで真の看板を下ろさずにすんだ…」と胸撫で下ろし興行的にも7,000人の観衆集め成功した。このことが翌年以降継続繋がり、年に1回全日本選手権開催されている。 1972年パリ開催され世界空手道選手権大会全日本空手道連盟翼下日本選手団体戦惨敗個人戦試合放棄した事で「柔道続き空手よ、お前もか」と各種マスメディア取り上げられた。これに対して大山倍達は「日本空手負けていない。近い将来国際空手道連盟極真会館主催世界選手権開催して日本選手強さを示す」と声明発表して1975年には第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会以降全世界選手権に略)を開催し佐藤勝昭優勝したその後4年1回全世界選手権開催されている。

※この「極真の看板を守り抜く」の解説は、「極真会館」の解説の一部です。
「極真の看板を守り抜く」を含む「極真会館」の記事については、「極真会館」の概要を参照ください。

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