格子状の蔀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:19 UTC 版)
通常、寝殿造で蔀というと画像322のように桟を格子状に組み、板を張ったものである。内裏では伝統的にそれを「格子」または「隔子」と呼んでいる。承和10年(843年)に建てられた東寺の灌頂院・礼堂の図にも正面七間に内側に跳ね上げる「格子」が描かれ、書き込みにも「格子」とある。 「蔀」は機能、「格子」は形状からの呼び名であるが、「蔀」の最初は格子状ではなく、加工に手間のかかる格子状の蔀、さらに漆を塗った最高級品が内裏周辺からはじまったことから、内裏では当時の「蔀」一般と区別して「格子」と呼び、そのまま定着したのかもしれない。 平安内裏の紫宸殿に最初から格子が使われていたのかどうかは史料が無いが、『西宮記』所引の「蔵人式」によると、仁和年間(885-889)にはすでに使用されていたことが判る。 以下格子状のものも含めて「蔀」と呼ぶ。『日本建築史図集』に西明寺の蔀の図面がある。柱間は芯々で9.4尺(2.84メートル)である。そして内法長押と下長押の間は8.1尺(2.4メートル)。その高さを上下二枚の蔀で覆う。この寸法は建物によって若干変わりはするが寝殿造でも平均的なサイズである。法隆寺聖霊院(画像321・画像322)、西明寺(画像331)の実例でも判るとおり、上下二枚の蔀は上の方が大きい。 その上下の蔀の上は内法長押に打ち込まれた蝶番でぶらさげる。柱の室内側に方立が打たれて室内側には開かないようになっている(画像321)。日中はそれを外側に開いて、軒先の化粧屋根裏からぶら下げた吊金物(画像323)に引っかける。 法隆寺東伽藍・礼堂(鎌倉時代)の例では、柱に方立と同じような縦木が打たれ、それと方立との間の溝に上から落とし込んでいる(画像324)。全面を開放するときにはこれを上に引き上げて外し、他の場所へ運ぶ。室生寺の本堂(灌頂堂)では掛け金で止めている。蔀はかなり重いので女官一人では満足に開けられなかったことが清少納言の『枕草子』にあり、『吾妻鏡』には朝晩にその開閉を担当する将軍御所の格子番の任命が出てくる。
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