栃木県による借受
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 15:39 UTC 版)
終戦後に従来の金谷ホテルと日光観光ホテル、日光レークサイドホテルなど外国人も宿泊可能であったホテルが進駐軍に接収されたため、軍人以外の外国人が宿泊できる施設が日光には無い状態になった。貿易庁からバイヤー用宿舎の確保の要請もあったことから1947年(昭和22年)10月15日より栃木県観光協会が栃木県より借受け、外国人バイヤー用の「日光パレスホテル」として整備して営業を開始した。前述の各ホテルが1952年(昭和27年)接収解除後も営業を続けたが、1957年(昭和32年)9月に廃業した。 栃木県は大蔵省に日光の旧御用邸3邸の無償貸付を大蔵省に申請したが、国は是としなかったため、県として払い下げ購入を決定し、1949年12月県議会に上程予定であったが、同月26日の今市地震で甚大な被害が生じたため、借用を継続することとなった。 1957年(昭和32年)頃から1960年(昭和35年)の間は、従来旧田母沢御用邸にて展示されていた植物や昆虫などを、日光博物館として廃業した日光パレスホテルの建物を利用し地理室、植物室、昆虫室、動物室映写兼講堂と売店、付属食堂・休憩所を備え、団体での予約があれば夜間も公開していた。1960年頃までに閉館となり、展示物は旧田母沢御用邸の一角で再度展示されるようになった。
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