栃木県の日光地震と関谷断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:17 UTC 版)
「地震考古学」の記事における「栃木県の日光地震と関谷断層」の解説
天和3年(1683年)に日光付近で何度も地震がおこり、日光東照宮の建造物にも被害が出た。この地震の影響で日光から20km離れたところにあった戸板山(現葛老山)が崩れ、その土砂によって川が堰きとめられて、巨大な湖が誕生した。この湖は、江戸と日光を結ぶ会津西街道の中で要所だった五十里宿を水没させたので、街道は使えなくなってしまった。1723年9月9日には、数日間続いた雨の影響で湖の水かさが増して、川を堰きとめていた部分が崩壊した。この結果、五十里宿が蘇り、街道も復活したが、それまで会津西街道の代わりとなっていた会津中街道も存続していたので2つの街道が争うことになった。これらのことが資料から明らかになっている。
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