三重電気鉄道松阪線
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松阪線(まつさかせん)は、かつて三重県松阪市の松阪駅から櫛田川中流の大石駅までを結んでいた本線(大石線)と、市街地の平生町駅から海岸沿いの大口駅までを結んでいた支線(大口線)から構成されていた、三重交通(廃止時点は三重電気鉄道)の鉄道路線である。
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ この二人の関係であるが、松阪水力電気株式会社の設立からはじまる。安保ら地元有志が松阪に電灯会社の設立を計画したが、資金難に窮していたところ才賀が参加することにより資金不足を解消し、さらに才賀電機商会が工事を請負い苦難のすえ1906年開業することができた。そして順調に業績を伸ばし1907年の役員改選の結果、社長は才賀藤吉専務取締役は安保庸三が就任した。
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f g 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』(2010年)pp.358, 748 によると10月5日に南勢軽便軌道株式会社として創立総会、10月14日に伊勢軽便軌道に社名変更。
- ^ a b c 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.748
- ^ 1912年8月19日付新愛知(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、pp.132, 358, 748
- ^ 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、pp.133, 359, 748
- ^ 理由として沿線の軍需工場の閉鎖による定期客の激減と利用客が増加した大石線に対しての資材の転用をあげている。休止後架線は撤去され、車両その他の資材は大石線に転用された。
- ^ 廃止に至るまで何度か休止延長の申請をしている。理由は松阪市の計画に大口港の開発があり、工場誘致計画があるためとしている。
- ^ a b 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、pp.293, 361
- ^ 今尾 (2008)
- ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1916年10月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)、『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)では、「おほいし」となっている。
- ^ ただし転出対象となったサ441形サ442は、元々電車形の半鋼製車で、床面に主電動機点検用のトラップドアが新造時より設けられていたなど、電動車化の容易な構造であったために既存車両の有効活用の見地から転用が図られたものであった。
- 1 三重電気鉄道松阪線とは
- 2 三重電気鉄道松阪線の概要
- 3 路線データ
- 4 車両
- 5 脚注
固有名詞の分類
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