東陽徳輝墨蹟とは? わかりやすく解説

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東陽徳輝墨蹟〈尺牘(〓牋)/二月一八日〉

主名称: 東陽徳輝墨蹟〈尺牘(〓牋)/二月一八日〉
指定番号 2485
枝番 00
指定年月日 1994.06.28(平成6.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 1幅
時代区分
年代
検索年代
解説文:  東陽徳輝は、大慧系の晦機元煕【かいきげんき】の法嗣【はつす】で、五山文学上に有名な入元中巌円月の師にあたり、「勅修百丈清規」を編修したことでも知られる
 本幅は、徳輝が大龍翔集慶寺【しつきんじ】の開山である法兄の笑隠大〓【しよういんだいきん】(一二七三一三四四)に送った尺牘で、料紙図と四周に渦繋ぎ文様の縁(右辺欠損)を配した牋紙を用い謹厳な楷書体をもって全文一九行にわたって書かれている本文は、まず昨年来無沙汰詫び、人を介して大〓息災伝え聞いて安堵していること、遠路のため、侍者をもって書状差し出す旨を記している。さらに、大〓が集慶寺に入院し開堂説法をしたことで、多く人々会下【えげ】に参じたであろう祝辞述べた上で高安県の洞山に籍を置く秀谷という僧を紹介し、その履歴人柄紹介状を書くに至った事情までを詳細に報じている。内容から両者親密な関係が知られ鄭重な文言用いている点は、法兄である大〓対す尊敬の念うかがわせる
 文末に「二月十八日」とみえるが、文意より、集慶寺の殿堂出来上がって説法始めた時を指すものと考えられおそらくは天暦から至順年間頃(一三二八一三三三)の墨蹟推定される
 東陽徳輝墨蹟は、ほかに静嘉堂文庫所蔵の無夢一清【むむいつせい】に与えた一幅知られるが、本幅は料紙牋を用いた徳輝の代表的遺墨として、元代代表的な禅僧間の親密交流伝えて中国禅林史上にも注目される
 なお、この墨蹟は、雲州松平家伝来で、不昧【ふまい】が伏見屋通じて冬木家より百両購入したものと伝えている。



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