東邦重工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
電力国家管理の開始により日本発送電へ一部設備を出資したのに伴って生じた償却費を運用するため、会社解体以前の電力国家管理期に東邦電力は電気事業以外への投資を積極化した。当時、軍需産業への新規進出が大手各社で相次いでおり、例えば東京電灯は非鉄金属メーカーの古河電気工業と共同でアルミニウム製錬を目指し日本軽金属を設立している。東邦電力でもステンレス鋼メーカーの日本ステンレスとの共同出資によって新会社を設立し、ステンレス事業への進出を試みた。 新会社は「第二ステンレス株式会社」の名で1939年(昭和14年)5月に発足した。この社名は一時的で、同年7月「東邦重工業株式会社」へ改称している。工場は三重県四日市市に構えた。東邦電力解体後は大同製鋼(現・大同特殊鋼)の傘下に入り事業を継続するが、太平洋戦争終戦により製鋼事業から撤退、1946年(昭和21年)より電気炉を転用してカーバイド製造に転換した。また1948年(昭和23年)7月に社名を「東邦化学工業株式会社」に変更している。 1949年(昭和24年)、東邦化学工業は大同製鋼から株式を取得した三菱化成工業(現・三菱ケミカル)の傘下となった。三菱化成は東邦化学工業から用地の提供と原料カーバイドの供給を受けて四日市に塩化ビニル工場を建設している。その後の東邦化学工業の経営改善を受けて三菱化成は1953年(昭和28年)7月1日、同社の合併に踏み切った。合併後、三菱化成は本格的に四日市への進出を図り、石油化学工業の拠点としていくこととなる。
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