東邦産業研究所
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1936年(昭和11年)、名古屋電灯創立50周年を記念する事業の一つとして社内に「新興産業部」を設置するとともに、同年11月、記念事業費として200万円を拠出し新興産業研究資金として運用することとなった。この資金を元に、産業支援を担う新興産業部の技術的な後援となる社外組織「財団法人東邦産業研究所」が1937年(昭和12年)10月に発足した。研究所はまず福岡試験所が福岡県糟屋郡多々良村(現・福岡市東区)に建設され、1938年(昭和13年)12月に完成。ここでは中小工業・農業の改良に関する研究や国策に沿った各種基礎研究・工業試験が行われた。続いて重工業方面、中でも軽金属製錬についての研究を行う東京試験所が1940年(昭和15年)5月、埼玉県北足立郡志木町(現・志木市)に完成した。 東邦電力の解散後、福岡試験所については九州配電へ譲渡され、東京試験所のみにて研究が続けられた。太平洋戦争終戦後の1947年(昭和22年)9月、慶應義塾へと試験所の土地を寄付し東邦産業研究所は解散した。東京試験所跡地には慶應義塾志木高等学校が建つ。また解散時半導体研究室主任であった小谷銕治が技術者と設備を継承し、東邦産研電気(現・サンケン電気)を設立している。
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