東方諸教会の成立とは? わかりやすく解説

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東方諸教会の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)

キリスト教の歴史」の記事における「東方諸教会の成立」の解説

東方諸教会」も参照 公会議による教義確認正統教義確立促したが、その一方で異端とされた教説保持者が教会から分離することにもつながった異端とされた説には、消えていったものも多かったが、正統派勢力及んでいない地域活路見出したものや、自派勢力の強いところで独自の発展遂げたものもある。アリウス派は、最終的に消滅したものの、一時ゲルマニア中心に布教し、それなりの期間にわたり勢力保った。 現在残っているそのような教派東方諸教会がある。431年エフェソス公会議異端宣告されネストリウス派ペルシア経て中央アジアへと勢力広げた更には唐代中国にも三夷教一つ景教として伝来した景教大秦寺建立されるなど、唐代では栄えており、仏教浄土信仰等に与えた影響指摘されている。現代でも、イラクアッシリア東方教会(ネストリウス派)およびその分であるインドトマス派教会(マラバル派)に継承されている。また451年カルケドン公会議異端宣告されキリスト単性論(自らは合性論であるとする)は、シリア・エジプト・アルメニアでは多数派として残りイスラム教化する以前東方では、数において他を圧していた。現在も合性論教会はシリア・エジプト・アルメニアに相当数信者持っており、またカトリック教会正教会とも一定の交流保っている。合性論教会とされる教派には、エジプトコプト正教会や、その姉妹教会エチオピア正教会シリアシリア正教会ヤコブ派)や、元小アジア(現在はコーカサス地方)のアルメニア使徒教会などがある。但し、これらの合性論教会は自らの教説単性論見なされることを拒否しており、特に正教会ギリシャ正教)とこれらの教会和解急速に進展している。より中立的な呼び名としては「非カルケドン派正教会」がある。

※この「東方諸教会の成立」の解説は、「キリスト教の歴史」の解説の一部です。
「東方諸教会の成立」を含む「キリスト教の歴史」の記事については、「キリスト教の歴史」の概要を参照ください。

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