東京藝術大学時代
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現役で東京藝術大学に合格。2年間石神井寮にて生活を送る。学年のインスペクターや四芸祭の委員、また学外活動では東京熊本県人会の活動や日本ルーマニア協会の設立に携わるなど充実した日々を送る。様々な音楽科目や美術学部の授業を履修するも、だんだんと主科である声楽は、周りの同級生たちとの実力の差や情熱の温度差、また大学三年次からの主科担任と反りが合わなかったこともあり、次第に心苦しむことになる。 大学三年生より知人の紹介により、衆議院議員の吉永治市の邸宅、東京青山・神宮前五丁目に間借りする。その後、同敷地内に転居してきた芸能プロモーターの勧めにより、ミュージカル事務所を紹介される。大学卒業を機にオペラの道をやめ、ダンスや芝居のレッスンに励む。ミュージカルではアンサンブルのオーディションすら合格しなかったが、この時期ファッション雑誌のモデルや韓流スターとのステージ、アウトリーチコンサートなどのチャンスを得る。しかしながら、リーマン・ショックにより仕事が激減。もともとミュージカルが好きで始めたレッスンではなかったため、『本当に好きな人には叶わない』と感じ、事務所を退所。 中学から音楽ばかりであったため、他に何か挑戦してみたいと考えていた矢先、恵比寿の駅で学校法人メイ・ウシヤマ学園ハリウッドビューティー専門学校が附設するハリウッド大学院大学の広告が目に留まり、その足で大学院を訪れる。美容師が独立後に困る経営スキルを身に付けさせる事を目的とする研究科に魅力を感じ、飛び込んだ。
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