杉渓六橋とは? わかりやすく解説

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杉渓六橋

読み方すぎたに

南画家書家。京都生。名は言長、字は信卿・土久、別号に深堂。公卿山科言縄三男として生まれ、のち渓と改姓男爵授けられ三十年余貴族院議員つとめた。画を重春塘に、書を北村龍象小林卓斎らに学ぶ一方貫名菘翁私淑し風韻富んだ行書能くした。華族中でも屈指の文人として知られる昭和19年1944)歿、80才。

杉溪言長

(杉渓六橋 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 01:30 UTC 版)

杉溪 言長(杉渓、すぎたに ときなが、1865年7月5日(慶応元年5月13日[1])- 1944年昭和19年)10月30日[1][2])は、明治から大正期の神職宮内官、政治家日本画家南画)、奈良華族貴族院男爵議員。旧姓・山科[1]、幼名は狟丸[3]。雅号は六橋[4]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l 霞会館 1996a, p. 770.
  2. ^ a b 衆議院 & 参議院 1990, p. 75.
  3. ^ a b c d e f g h i 杉謙二 2011, p. 736.
  4. ^ a b c d e f 坂本箕山 1920, p. 168–170.
  5. ^ a b c d e f g h 杉溪言長差出 1875.
  6. ^ a b 筒井住蓮 1911, p. 274.
  7. ^ a b c d e 人事興信所 1933, p. ス32.
  8. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  9. ^ 『官報』第822号、昭和4年9月24日。届出は9月11日。
  10. ^ 『官報』第829号、昭和4年10月3日。
  11. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
  12. ^ 霞会館 1996b, p. 793.


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