杉やき・鋤焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:54 UTC 版)
日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは江戸時代前期の寛永20年(1643年)に刊行された料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮(砂糖は使用しなかった)にする料理である。さらに享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という2種類の料理が、「すき焼き」の起源として挙げられている。 第9回朝鮮通信使(1719年)の製述官であった申維翰は著書『海游録』の付篇「日本聞見雑録」において、日本料理では「杉煮(すき焼き)をもって美食となす」と言及している。その記載によれば魚肉と蔬菜など様々な食材を酒と醤で煮た料理ということで、朝鮮における「雑湯(チャプタン)のようなもの」と表現した。名前の由来としては、何人かが杉の木の下で雨宿りした際に、杉の木で焚いた火の上で、各人の手持ちの食材をまとめて器で煮たものが美味だったことから名付けられたとしている。杉は日本語で「スキ」と発音し、煮ることの訛言が「ヤキ」というためスキヤキの俗称があるとし、この場合漢字では「勝技冶岐」と記した。
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