本川・土橋の雁木群
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「雁木 (広島市)」の記事における「本川・土橋の雁木群」の解説
「十日市町・土橋」も参照 江戸時代、この地は西国街道と雲石街道の交点付近であり、太田川水運での川船のほか河口から上がってきた廻船(海船)が着岸していた。本川橋周辺から下流に現存する雁木は、昭和40年代護岸整備されたときに当時と同じ位置に組み直されたものである。 本川橋西詰にある舟つなぎ石は2008年(平成20年)川底から発掘され復元された。また本川橋西詰の護岸、本川橋橋脚下の石組は毛利氏時代の島普請によるものと言われている。 そばには鋳造(可部鋳物)の常夜灯が立つ。初代は1781年(天明元年)建立で理由はわからないが消失し、現存のものは2代目であり1991年(平成3年)県鋳物工業協同組合・広島たたら会が製作し再建された。その土台の石積は江戸時代のものになる。 江波の漕伝馬「川上り」において、かつては本川橋西詰で川を上り森川家で食事をとる風習があったが、戦後森川家が移転したため広島中央卸売市場が、のち市場移転に伴い中国新聞社本社がその風習を受け継いでいる。 [全画面表示] -の範囲内を記載。 Clip 1945年米軍作成地図。 Clip 安芸国広島城所絵図。
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