木浦トンネル(浦本駅 - 能生駅)
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「頸城トンネル」の記事における「木浦トンネル(浦本駅 - 能生駅)」の解説
木浦トンネルは前田建設工業の請負により1966年(昭和41年)10月24日に着工した。本トンネルでは国鉄におけるトンネルボーリングマシン(以下、TBM)施工の可能性、使用時の問題点、経済性の検討を行うため、糸魚川駅 - 直江津駅間の工事区間で比較的地質が安定している本トンネルの一部区間で、底設導坑をTBMによる導坑に置き換えて(TBM先進工法)施工した。 TBM(小松ロビンスT.M.230G型)は制作した小松製作所から有償で借上げ、施工業者の前田建設工業に貸与の上、用いた。このTBMは国産第1号のものであり、もとは愛媛県新居浜市の住友共同電力東平発電所の水路トンネル工事における硬岩掘削を目的として制作されたものの、掘削時に生じた問題から試用を中止されていたものであった。このため木浦トンネルにおける試用は、軟岩における性能を明らかにすることも目的のひとつであった。 使用されたのは延長1,570 m のうち887 m で、1967年(昭和42年)1月12日に直江津方坑口から125.3 m の地点から掘削を開始した。木浦トンネルも能生谷層に属する泥岩主体の地質であり、試験掘削期間中には大量の湧水に遭遇したが、2月18日からの本工事では掘削はほぼ順調に進行し、3月には、月進(29日間)362 m、平均日進12.5 m を達成し、3月25日には日進246 m を達成した。TBMによる掘削は5月5日、岩質が軟弱となり困難となったことから終了し、5月16日に米原起点335 km 651 m 8 地点にて、米原方から発破工法で掘削した底設導坑と貫通した。 日本の鉄道トンネルにおけるTBMは本トンネルのほか同年より青函トンネルの導坑掘削でも用いられたが、日本の複雑な地質への適応の問題から、その後の使用は数例にとどまり、後年の海外での実績の評価や、国内におけるシールド技術の蓄積による再評価が進むまで本格採用には至らなかった。 本トンネルの工事は1969年(昭和44年)1月20日のインバートコンクリート工事竣工をもって終了した。
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