木内 (企業)とは? わかりやすく解説

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木内 (企業)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 02:09 UTC 版)

株式会社木内
種類 株式会社
本社所在地 日本
010-0001
秋田県秋田市中通一丁目3番1号[1]
北緯39度43分3.7秒 東経140度7分11.2秒 / 北緯39.717694度 東経140.119778度 / 39.717694; 140.119778
設立 1959年(昭和34年)[1]
業種 小売業
法人番号 9410001000957
事業内容 百貨店の経営
代表者 代表取締役社長 木内信子[2]
資本金 3600万円[2]
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木内
店舗概要
所在地 010-0001
秋田県秋田市中通一丁目3番1号
座標 北緯39度43分3.7秒 東経140度7分11.2秒 / 北緯39.717694度 東経140.119778度 / 39.717694; 140.119778 (木内)座標: 北緯39度43分3.7秒 東経140度7分11.2秒 / 北緯39.717694度 東経140.119778度 / 39.717694; 140.119778 (木内)
開業日 1889年(明治22年)3月[3]
正式名称 木内百貨店
施設所有者 株式会社木内
施設管理者 株式会社木内
商業施設面積 7,918 m²[4]
営業時間 10:00-17:00[4]
前身 木内商店
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株式会社木内(きのうち)は、秋田県秋田市に本拠を置く、かつては百貨店協会に加盟(後述)していた「木内百貨店」(きのうちひゃっかてん、通称:木内デパート)を運営する企業。2020年3月に新型コロナウイルス感染症の流行が拡大して以降、休業状態となっている[5]

概要・沿革

1889年(明治22年)3月[3]久保田藩士の家柄だった木内俊茂が、文具販売の「木内商店」を創業[1]

1910年(明治43年)に秋田では初のショーウィンドー付の店舗を開き、1932年(昭和7年)に合資会社木内雑貨店を設立して法人化した[1]

1950年昭和25年)に夫の木内隆一の死を受けて木内トモが2代目社長となり[6]1951年(昭和26年)に合資会社木内に改称[1]して百貨店の営業を始めた。

1952年(昭和27年)7月20日に秋田市が新屋浜放水口北側に新屋海水浴場を新設した際には開業記念のアトラクションを提供し[7]1959年昭和34年)5月から毎年開催されている秋田県美術展覧会では第一回展から会場を提供していた[8]1966年までは目の前を秋田市電が走っており、秋田市交通局秋田中央交通の案内所(定期券・回数券売場)も併設されて交通の一拠点としても機能するなど地域を代表する老舗として商業以外でも地元の中心的存在となっていた。その為、近くにある市電の電停は「木内前」の名称となり、現在でもバス停の名前として残っている。

1955年(昭和30年)に着工した鉄筋コンクリート造3階建て増築工事[1]が完成して、1957年昭和32年)10月18日に新装開店した[9]際には秋田県内初[1]エスカレーターを売り物に「エスカレーターにのって楽しいお買い物」[9]を謳い文句にしてエスカレーターガールのいる百貨店として人気を呼んだ[1]

1959年(昭和34年)には従来の合資会社を改組して株式会社木内となり[1]1965年(昭和40年)には売場面積4,849m2で売上高24.8億円を上げてライバルの「本金」(売場面積3,800m2)の売上高5.8億円の4倍以上となる[10]など秋田では圧倒的な地域一番店となり、昭和30年代に近くにあった秋田県庁秋田市役所、国の出先機関などの官公庁がら移転して跡地が大型店などとして整備されたことも影響して肩がぶつかるほど混み合うようになった[3]秋田駅広小路通り周辺と共に大いに賑わうなど「士魂商才」を掲げた女性社長[6]の下で成長を続けた。

1967年(昭和42年)の年末商戦に風邪を引きながら出社して陣頭指揮に当たった木内トモが1968年昭和43年)1月3日に死去した[6]ため、木内一(きのうち・はじめ)が3代目社長となって引継いだ。

その後1972年(昭和47年)に売場面積を一気に2倍にする大規模な増床工事が完成して1973年昭和48年)12月から全面的に開業する[11]など拡張を続け、観覧車や展望台のある屋上遊園地[1]の「屋上お子様遊技場」[12]や3階の大食堂でのお子様ランチや台の付いたソフトクリームなども人気を呼んで[1]全県から買い物客を集め[13]、全盛期の昭和40年代昭和50年代には従業員約400人で年商130億円を上げて[1]秋田県随一の百貨店[13]となり、「秋田の三越」と呼ばれて[14][15]木内の包装紙がもてはやされ[1]、秋田の贈答品市場では圧倒的なシェアを誇った[1]

しかしモータリゼーションの進展に伴い、1981年長崎屋秋田店が撤退する[注 1]など郊外型のショッピングセンターの開業が相次いで中心市街地の集客力が衰え売上が減少し始めると、1990年(平成2年)に日本百貨店協会から脱退し[15]1991年(平成3年)には売場を大幅に縮小し[16]3階部分を閉鎖[17]、合わせて営業時間を短縮するなどの事業の再構築を行う。1995年以降は2階部分も閉鎖し[17]1階の衣料品売場のみ営業して[15]午後5時に閉店する[4]など百貨店とはいえない規模に縮小している[15][注 2]

2009年平成21年)4月26日に出張先の東京都内で木内一が急死したのを受けて、同年5月27日付で一の長女に当たる木内信子が社長に就任[13]すると、モータリゼーションに対応して試験的に駐車場を無料化に踏み切って土日の集客力の向上に成功させ[18]、老朽化対策としての改装や中通一丁目地区市街地再開発事業への関与を検討する[2]など新たな経営方針を打ち出し始めている。

2020年令和2年)3月に新型コロナウイルス感染症の流行が拡大して以降は休業中である。

近隣施設等

関連項目

脚注

  1. ^ 1986年(昭和61年)に秋田中央交通の車庫跡で中交ホリディスクエアの核店舗として再開業[16]。2009年(平成21年)に長崎屋運営のドン.キホーテ秋田店に転換。
  2. ^ 食堂、玩具売場、食料品売場など閉鎖。1F仲小路側にあった交通公社トラベランド(現・JTBトラベランド)の店舗も秋田サティへの移転という形で閉鎖された。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n “土木建築の近代化遺産 No.54 木内百貨店”. 秋建時報 平成19年2月1日(第1154号) (秋田県建設業協会) (2007-2-1). 
  2. ^ a b c “木内:店舗改装へ 再開発事業関与も−社長が意向”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2010年2月2日) 
  3. ^ a b c 秋田市中心市街地活性化基本計画 平成23年3月31日 (Report). 秋田市. 31 March 2011.
  4. ^ a b c 第一種大規模小売店舗の概況 平成23年3月現在 (Report). 秋田商工会議所. 2011.
  5. ^ “地方点描:眠った土地[秋田市政担当]”. 秋田魁新報. (2022年6月7日). https://www.sakigake.jp/news/article/20220607AK0013/ 2022年6月7日閲覧。 
  6. ^ a b c 秋田県総務部秘書広報課編『秋田の先覚5−近代秋田をつちかった人びと』秋田県広報協会、1971年5月。 
  7. ^ “新屋海水浴場開き アトラクションきまる”. 広報あきた No.21 (秋田市) (1952-7). 
  8. ^ 千葉三郎. “全国選抜展に実力示す 〜五回のうち三回に文部大臣賞〜”. あきた 通巻66号 (秋田県) (1967-11-1). 
  9. ^ a b “木内の広告”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (1957年10月17日) 
  10. ^ デパート新聞社編『全国百貨店年鑑 昭和42年版』デパート新聞社、1967年。 
  11. ^ “特集 秋田のすがた 商業 魅力ある商店街へ(県都)”. あきた 通巻123号 (秋田県) (1972-8-1). 
  12. ^ “観覧車に思いを乗せて”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (2003年10月12日) 
  13. ^ a b c “木内社長が死去 秋田市の老舗百貨店、長女が後継”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (2009年6月6日) 
  14. ^ 渡辺浩 (2013年7月26日). “【名所旧跡 東北の旅】魅力ある街へ変貌のとき 広小路と千秋公園のお堀(秋田市)”. 産経新聞 (産経新聞社)
  15. ^ a b c d 岡田豊. “秋田県の地域活性化事例”. みずほ地域経済インサイト 2008年1月25日発行 (みずほ総合研究所) (2008-1-25). 
  16. ^ a b 活力ある都市の再生を目指して〔秋田市中心市街地における低未利用地の土地利用転換促進に関する提言〕 (Report). 秋田市低未利用地活用方策研究会. March 2009.
  17. ^ a b https://www.mlit.go.jp/crd/city/mint/htm_doc/pdf/020akita.pdf
  18. ^ 『秋田県議会議事録 平成22年2月定例会 学術教育公安委員会 第2日 平成22年2月25日』秋田県議会、2010年2月25日。 

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