朝貢貿易の衰えと東アジア世界の状況変化とは? わかりやすく解説

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朝貢貿易の衰えと東アジア世界の状況変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:31 UTC 版)

琉球貿易」の記事における「朝貢貿易の衰えと東アジア世界の状況変化」の解説

15世紀前半頃までには朝貢貿易南方との貿易により琉球王国栄華謳歌するが、次第貿易相手国の政治状況東シナ海情勢変化翻弄されていく。 15世紀、明の成化帝朝貢品に対す支払いや一行在留等の煩雑さから朝貢制限へと方針転換し、明の成化10年1474年)には2年に一貢とし、朝貢一行100人以下と厳命したことで、16世紀に入ると琉球朝貢貿易陰り見え始める。 16世紀ポルトガル東南アジア進出し始めたころ情勢大きく変わる。1511年ポルトガルマラッカ占領支配し1522年武力威嚇により海禁政策関わりなく明との交易を開かせた。また明自体諸事情により東シナ海海禁統制できなくなり、それにより後期倭寇台頭東シナ海交易武装海商兼ねた後期倭寇支配する事になる。これにより琉球船の活動制約された。琉球から中国朝鮮に向かう時にしばしば倭寇襲撃略奪された。朝貢貿易船は武装し朝鮮への使節倭寇早田六郎次郎)に警固依頼する有様であったこの頃東シナ海後期倭寇ジャンク船により交易掌握していた。 さらに、マラッカ占領などにより東南アジア市場からも追われやがて交易廃止日本対中国だけでなく南蛮貿易(後に朱印船貿易)に本格的に進出しはじめ、中継貿易衰退し始めたこのように琉球貿易衰微するとともに王国国力弱まり日本への経済的従属がより進行する事となった。 また1523年には前述大内氏細川氏との間で日明貿易に関する勢力争い激化しついには1523年寧波の乱武力紛争となり日明貿易一時断絶となる。後には室町幕府通して再開するが、ここでも大内氏主導的な役割果たし琉球王国経由した明との交易確保したり、ついには大内氏日明貿易再開させその独占を得る。しかしその大内氏陶晴賢内訌により1557年滅亡してしまう。これにより日明貿易が完全に途絶してしまい、日琉貿易関係にも島津氏台頭してくるのである

※この「朝貢貿易の衰えと東アジア世界の状況変化」の解説は、「琉球貿易」の解説の一部です。
「朝貢貿易の衰えと東アジア世界の状況変化」を含む「琉球貿易」の記事については、「琉球貿易」の概要を参照ください。

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