栽仁王とは? わかりやすく解説

栽仁王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 18:06 UTC 版)

栽仁王(たねひとおう、1887年明治20年)9月22日 - 1908年(明治41年)4月7日)は、明治期の日本皇族勲等大勲位階級海軍少尉有栖川宮家の嗣子であったが、継承することなく薨去した。


注釈

  1. ^ 虫垂炎の当時の呼称
  2. ^ 伊藤は皇室典範の起草に深く関与し、1907年(明治40年)にも皇室典範の増補を実現させたばかりであった。

出典

  1. ^ 威仁親王行実(上) 1926 p.133
  2. ^ a b c d 威仁親王行実(下) 1926 p.227
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、17頁。
  4. ^ 『官報』第7275号「帝国議会」明治40年9月27日(NDLJP:2950621/13
  5. ^ a b c d 『官報』号外「宮廷録事」、明治34年4月7日(NDLJP:2950777/14
  6. ^ a b 威仁親王行実(下) 1926 p.225
  7. ^ 威仁親王行実(下) 1926 p.225-226
  8. ^ a b 威仁親王行実(下) 1926 p.226
  9. ^ 明治34年宮内省告示第3号(『官報』号外、明治34年4月7日)(NDLJP:2950777/14
  10. ^ a b 『官報』第7429号「叙任及辞令」明治41年4月6日(NDLJP:2950776/2
  11. ^ 『官報』号外「辞令」明治41年4月7日(NDLJP:2950777/14
  12. ^ 『官報』第7431号「宮廷録事」、明治34年4月8日(NDLJP:2950778/6
  13. ^ 威仁親王行実(下) 1926 p.228
  14. ^ a b 威仁親王行実(下) 1926 p.230
  15. ^ 児島襄『天皇Ⅱ 満州事変』文春文庫、p.235-237
  16. ^ 中村 1909 p.230-231
  17. ^ 中村 1909 p.232
  18. ^ 中村 1909 p.233
  19. ^ 『官報』第7306号「叙任及辞令」、明治40年11月4日(NDLJP:2950652


「栽仁王」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「栽仁王」の関連用語

栽仁王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



栽仁王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの栽仁王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS