月のもの代る代るに梅雨家族
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評 言 |
草村素子には二人の娘がいた。梅雨と女性の生理、なんともうっとうしいものなのだろう。彼女の句集『家族』の角川源義による序文では、この句は「西東三鬼が絶賛してゐた。三鬼好みといふ人もあらうが、女身を訴へてゐるのだ。」とある。 素子といえば「神話おほかた愛の争ひ建国日」がある。なーに大君だとかスメラミコトだとかいっても、結局はどろどろとした愛欲の争いなんなのだという。 素子は俳誌「河」創刊の1958年から自宅で編集発行を務めた。その主宰の角川源義は国文学者、民俗学者の顔も持っていたが角川書店の創業者として知られている。その源義と素子は晩年の約10年間同棲状態だった。正妻の照子がいての愛人であったから照子に憎まれたことはいうまでもない。照子も不倫の前科があり最初に出来た子を亡くした過去があった。源義の最初の妻の冨美子は辺見じゅん、春樹、歴彦という三人の子を生しながら離婚に追い込まれた。その源義の最後の女性が素子だった。素子の夫も愛人を作り2人の娘を置いて家を出ている。 素子は1974年8月3日、54歳で癌のために亡くなった。素子の葬儀の日、その夫と並んで参列した源義は人目もはばからずに涙を流し続けたという。源義は素子を追うように1975年10月27日に病没した。58歳。 夏痩せておいらん草の紅にくむ 生理日の渇き寒水ごくごくのむ 甘茶仏男のしるしをさなくて 病みいても月のものくる蝉時雨 恋の猫うとまし四十路あますなく とさみづき男傘さし池めぐる 御用はじめ出生届ふところに 重き闇椎茸は夜太りゐむ この一連を読んで素子は源義との問題は別にしても優れた俳人であり、三橋鷹女の影響はあるものの、ある意味ではそれ以上の作家、俳句によって救われた女性なのだと思った。句集に『家族』。没後に『星まつり』(あとがき・角川源義)がある。 |
評 者 |
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備 考 |
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