最高会議の自由選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「最高会議の自由選挙」の解説
対する最高会議は2月の時点で、共産党の指導性を定めた連邦憲法第6条を廃止していた。3月18日には複数政党制に基づく最高会議選挙が実施され、その結果は105議席のうちで独立賛成派73議席・反対派(族際運動)27議席で、その他は態度保留であった。また、当選者のうち45人は人民戦線メンバー、44人はエストニア会議議員であり、ロシア人の投票内訳は反エストニア系ロシア人議員が28.2パーセント、親エストニア系ロシア人議員が20.9パーセント、20パーセントがエストニア人議員とされる。その一方、当時人気の絶頂にあった民族独立党は、あくまでも最高会議の正当性を否認して選挙をボイコットしたため、その後の最高会議で民族派の発言力は低下することとなった。 新たに選出された第12期最高会議 (et) の側も、ロシア人が国内にさほど流入しなかったリトアニアとは異なり、族際運動への警戒からあくまでもモスクワとの交渉によって独立を達成しようとした。同月30日、最高会議は「エストニアの国家的地位について」の決議を採択し、現在のエストニアは不法占領下における合法的国家権力機関形成までの移行期にある、という事実上の独立宣言を発した。 最高会議選挙後には、エストニア会議と人民戦線との合意によってサヴィサール内閣 (et) が成立したが、あくまでもロシア人を排除して戦前の国家の回復を求めるエストニア会議と、民族関係の安定化を最重要視するサヴィサールは激しく対立した。互いに正当性を主張する2つの議会が並立する一方で、エストニア共産党の側も、3月23日から24日にかけての党大会において、連邦共産党の下部に留まるもの(反独立派(英語版))と、連邦党から独立するものの二派に分裂している。
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