最初の200m越えジャンプと発展(1990年代-現在)
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「スキーフライング」の記事における「最初の200m越えジャンプと発展(1990年代-現在)」の解説
上限ルール下の1994年スキーフライング世界選手権(プラニツァ)では実際には公式練習で200mを超えるジャンプが続出していた。3月17日の公式練習1日目、マルティン・ヘルバルトが196mで従来の記録を2m更新するとチームメートのアンドレアス・ゴルトベルガーが202mを飛んだがこれは転倒でノーカウント、フィンランドのトニ・ニエミネンが203mのジャンプを成功させた。ゴルトベルガーは2本目に202mを飛んだ。翌3月18日はクリストフ・ドゥッフナーが207mを飛んだが転倒して負傷、エスペン・ブレーデセンが209mを成功させ、ヤロスラフ・サカラも200mを飛んだ。しかしこれらの記録は191mルールにより非公認となった。。この上限ルールは1995年に撤廃された。2000年代に入るとスキーフライングはFISのプログラム内でますます重要となり、2000-2001シーズンはワールドカップ個人戦21試合中5試合がフライングヒルであった。2004年のスキーフライング世界選手権から団体戦が採用され、ノルウェーチームが優勝した。 飛距離の記録は伸び続け、2000年にノルウェーのトーマス・ヘールが220mを越え224.5m、2003年にフィンランドのマッティ・ハウタマキが230mを越える231m、2005年3月20日にはビヨーン・アイナール・ローモーレンが239mを記録した。同じ日にヤンネ・アホネンは240m地点に到達したが、その時期は着地に不安を抱えていた上に、そのまま行けば平らなところまで行ってしまいそうな高い場所から無理矢理降りたため転倒してしまい記録とはならなかった。 2011年、ヴィケルスンのフライングヒルがK=195m、HS=225mに改築され、地元ノルウェーのヨハン・レメン・エベンセンが2月11日の予選ラウンドで246.5mを飛んだ。しかしこの記録はFISとしては公認しないこととした。2月12日の本選ではグレゴア・シュリーレンツァウアーが243.5mを記録している。 2015年にプラニツァのフライングヒルがK=200m、HS=225mに改築(ヴィケルスンもK=200に変更)、2016年にバートミッテンドルフ、2017年にオーベルストドルフもそれぞれK=200m、HS=225mに改築されたためハラホフ以外のスキーフライングの競技場はすべてK=200m、HS=225mとなっている。 1997年、オーストリアのエヴァ・ガンスターは、クルムで女性初のスキーフライングを行い167mの女性世界記録を樹立した。ガンスターはそれまで112mの世界記録を保持しており、ギネス・ワールドレコーズに掲載された。 6年後の2003年1月29日、クルムでのスキージャンプ・ワールドカップのテストジャンプでダニエラ・イラシュコが200mを記録してガンスターの記録を更新した。これは当時岡部孝信が持っていたジャンプ台記録にあと5mと迫るものであった。イラシュコのジャンプに関してはドイツナショナルチームのラインハルト・ヘスヘッドコーチが「彼女のチャレンジは尊重するがオーストリアチームは便乗して話題づくりをするべきではない」と述べた。イラシュコ自身は、このジャンプは女性が男性と同様にジャンプできることを示したものだと述べた。 現在はスキーフライングで女子選手は最高でもフォージャンパー(テストジャンパー)でしか飛ぶことが出来ず、女子スキーフライング自体は存在しない。イラシュコの記録は当分破られないだろう。 2010年2月にノルウェーのノルディック複合選手マグヌス・モーアンは、ノルウェー国営放送(NRK)の番組で、ノルディック複合にフライングを採用して20km走と組み合わせてはどうか、オーベルストドルフやクルムで開催できるだろうと語った。
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