マルティン・ヘルバルトとは? わかりやすく解説

マルティン・ヘルバルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/23 03:50 UTC 版)

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獲得メダル

2003年
 オーストリア
男子 スキージャンプ
オリンピック
1992 アルベールビル ノーマルヒル個人
1992 アルベールビル ラージヒル個人
1992 アルベールビル ラージヒル団体
1998 長野 ラージヒル団体
ノルディックスキー世界選手権
2001 ラハティ ノーマルヒル団体
2005 オーベルストドルフ ノーマルヒル団体
2005 オーベルストドルフ ラージヒル団体
1999 ラムソー ラージヒル団体
2001 ラハティ ノーマルヒル個人
2001 ラハティ ラージヒル団体

マルティン・ヘルバルト(Martin Höllwarth、1974年4月13日 - )は、オーストリア、シュヴァーツ(Schwaz)出身の元スキージャンプ選手で現在は指導者。

プロフィール

1991年ノルディックスキージュニア世界選手権で個人戦金メダルを獲得。翌1991/92シーズンからスキージャンプ・ワールドカップに参戦、1991年1月10日プレダッツォ大会(イタリア)で早くも勝利をあげる。

その勢いのままアルベールビルオリンピックに出場、17歳の若さで3つの銀メダルを獲得した。 しかしその後はオリンピックであまり活躍できず、1998年長野オリンピックで団体戦銅メダル獲得に貢献したのみである。

ヘルバルトの最も輝かしい実績はノルディックスキー世界選手権で合計6個ものメダルを獲得していることである。その内訳は金メダル3個(2001年ノーマルヒル団体、2005年ノーマルヒル及びラージヒル団体)、銅メダル3個(1999年ラージヒル団体、2001年ノーマルヒル個人及びラージヒル団体)である。

2001年2月4日ヴィリンゲンドイツ)のワールドカップから帰国する際、ヘルバルトの運転する車が事故を起こし、コーチのアロイス・リップブルガーが亡くなった。ヘルバルトは同乗していたアンドレアス・ビドヘルツルとともに軽傷で助かった。

ワールドカップでは通算8勝(2位6回3位15回)、総合では2003/2004、2004/05の2期連続5位が自己最高位。 スキージャンプ週間で3回総合2位となっている。

2007/08シーズン限りで現役引退、 2008年からエストニアナショナルチームのコーチを務めていたが [1] [2]、2009年9月に解任された[3]

脚注

  1. ^ [1] ポーランドのサイト”eskijumping.com”
  2. ^ [2] オーストリアのサイト”sportsplanet.at”
  3. ^ Suusaliit loobus koostööst Martin Höllwarthiga (エストニア語)

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