書籍上の分類と執筆意図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 10:05 UTC 版)
「ローマ皇帝群像」の記事における「書籍上の分類と執筆意図」の解説
「ヒストリア・アウグスタ」が編纂された背景に何らかの政治的目的を見て取る論者は多く、異教徒への攻撃など宗教的目的も指摘されている。また単純に娯楽物として創作された「作り話」であると評する声も同等に存在する。 ロナルド・セイムはある時代以前の歴史書は今日の近代歴史学からみれば単なる歴史小説(「作り事の歴史」)であって、史料としての水準を満たしていない場合が多いと指摘する。また特に同書が編纂されたテオドシウス1世治世下では古い歴史書の記述をより大胆に脚色して、言わば面白おかしく捏造した書物が盛んに出回っていた。彼ら「危険な評釈者たち」(rogue scholiast)は、スエトニウス(彼はタブロイドとしての側面が強い歴史書を多く作り出した)やマリウス・マキシムス(スエストニウスの後継者と渾名される)の著作を手本とする傾向にあった。こうした動きと対する形でアンミアヌス・マルケリヌスはタキトゥスを手本にして、(前者に比べてではあるが)中立的に歴史を記録しようとした。 プロブス帝治世に現れたという帝位請求者「4人の戦車」は、マリウス・マキシムスによって全く捏造された存在だった。当時の文献には、マキシムスの著作について「彼は主に歴史小説で知られている(homo omnium verbosissimus, qui et mythistoricis se voluminibis implicavit )」と皮肉る文章が残っている。mythistoricisというラテン語の単語はマキシムスの著作を指す以外に用いられた形跡はない。 近年の研究で特異なのは、アラン・キャメロン(en)が著した『最後の異教徒(The Last Pagans of Rome)』の説で、プロブス帝の末裔を名乗っていた371年のコンスルであったペトロニウス・プロブスの関係者が当時のマリウス・マキシムスの人気に便乗して充分な学識も明確な目的も無いままに続編(マキシムスの著書はヘリオガバルスの治世で終わっている)を書いてみただけだと、切って捨てている(『ローマ皇帝群像<4>解題、pp273-274、執筆:井上文則)。ちなみにプロブスの伝記の末尾において、彼の子孫の栄達するという予言がなされているのに未だ(同書の執筆年代に仮託されているコンスタンティヌス1世の時代)にそんな形跡がないと批判されているが、キャメロン説ではこの予言の記事はコンスタンティヌス1世よりも後の人物であるペトロニス・プロブスの存在を意識して描かれているとされる。
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