書・印用字体としての再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 05:48 UTC 版)
このように姿まで変化させられ、日陰者として細々と命を永らえていた小篆であったが、唐代以降再び脚光を浴びることになる。 唐の中ごろ、詩人の韓愈らが六朝の四六駢儷文を否定し古文復興運動を行った影響で、書道にも王羲之以前、すなわち隷書以前を志向する復古主義的な気運が生まれた。 そのような風潮の中、小篆は李陽冰などによって大きく注目されることになり、それまでの崩れた書法を排した、本来の姿に近い小篆による書道作品や石刻が多く使われるに至った。これにより、小篆は書道界に一書体として再興することになる。 五代十国時代の南唐および宋代には、徐鉉・徐鍇兄弟により『説文解字』の校訂・注釈が行われ、現在見られる『説文解字』のテキスト(大徐本)が作られるとともに、小篆による書道も引き継がれた。 またこの宋代以降、古印を収蔵し鑑賞する趣味が発達したことも、小篆含む篆書への関心を深める要因となった。官印、または作品の製作者や収蔵家が所有権を誇示するために押した印章には、篆書で官職名、もしくは本人の名や座右の銘を彫っているものが多かったからである。元・明代以降はこの篆書を用いた印章を彫る作業も、「篆刻」という書道の一ジャンルとして確立された。 清代においては、考証学の発達により模刻や模写を重ねている紙の法帖よりも当時の姿を留める碑の方が書蹟として信頼性が高いとの考えから、碑の研究が主流となったため、それに伴って碑しかない時代の文字であった篆書も研究・書作が再び盛んとなり、書・篆刻ともに優れた作品が残されている。また、満州文字などの篆書もつくられた。 現代においても書作品・篆刻作品の他、「公的証明」の役割の名残として印章に用いられることが多い。
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