晩年 生涯最後のステージと死去とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 晩年 生涯最後のステージと死去の意味・解説 

晩年 生涯最後のステージと死去

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:23 UTC 版)

春日八郎」の記事における「晩年 生涯最後のステージと死去」の解説

晩年1988年には静岡県熱海にて親交深かった三橋村田と共に三人の会」を結成三人揃ってチャリティー・コンサート開催するなど、低迷した演歌活性化に力を注いでいた。だがこの頃になると体調を崩しがちとなり、段々と体が細くなっていく春日の兆候見られた。それでも『昭和』から『平成』に元号変わった1989年の末には、第40回NHK紅白歌合戦第1部)に1978年第29回以来、『お富さん』で11年ぶり21回目紅白出演果たしたが、これが自身生涯最後紅白出場となった。さらに1990年頃清水アキラが顔中に沢山セロハンテープ貼り付けて春日八郎物真似披露した事でも話題となる。『ものまね珍坊』で清水と初共演した際、春日は「俺ってこんな顔してるのか?」と苦笑いしながら感想述べていた。 1991年6月、左大腿部腫瘍摘出手術の為入院。「三人の会」のコンサート等に出演出来ず三橋・村に対して病床からメッセージ送った事も有った。一旦は退院死去1ヶ月前の同年9月6日中野サンプラザでのキングレコード60周年コンサート出演し長崎の女」を歌唱したが、これが生涯最後のステージとなった当日車椅子会場入りしたが、ステージ登場から歌い終え最後まで、立って無し自力歩いてやりきったテレビ東京系列当日映像も遺されており、追悼の際には放映されることもある。その後体調悪化し入院、「三人の会結成から僅か3年後、そして生涯最後のステージから僅か1ヶ月後の1991年10月22日2038分、肝硬変心肺不全により東京都新宿区東京医科大学病院死去67歳没、生涯現役であった。同27日には香川県高松市リサイタルがある予定であったが、三橋代役買って出て、「赤いランプの終列車」を涙まじりに熱唱している。 デビュー後吹き込んだ楽曲通算数百曲、レコード総売上7000万枚を超す。

※この「晩年 生涯最後のステージと死去」の解説は、「春日八郎」の解説の一部です。
「晩年 生涯最後のステージと死去」を含む「春日八郎」の記事については、「春日八郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「晩年 生涯最後のステージと死去」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「晩年 生涯最後のステージと死去」の関連用語

晩年 生涯最後のステージと死去のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



晩年 生涯最後のステージと死去のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの春日八郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS