晩年 生涯最後のステージと死去
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「春日八郎」の記事における「晩年 生涯最後のステージと死去」の解説
晩年の1988年には静岡県・熱海にて親交の深かった三橋、村田らと共に「三人の会」を結成、三人揃ってのチャリティー・コンサートを開催するなど、低迷した演歌の活性化に力を注いでいた。だがこの頃になると体調を崩しがちとなり、段々と体が細くなっていく春日の兆候が見られた。それでも『昭和』から『平成』に元号が変わった1989年の末には、第40回NHK紅白歌合戦(第1部)に1978年・第29回以来、『お富さん』で11年ぶり21回目の紅白出演を果たしたが、これが自身生涯最後の紅白出場となった。さらに1990年頃、清水アキラが顔中に沢山セロハンテープを貼り付けて、春日八郎の物真似を披露した事でも話題となる。『ものまね珍坊』で清水と初共演した際、春日は「俺ってこんな顔してるのか?」と苦笑いしながら感想を述べていた。 1991年6月、左大腿部腫瘍の摘出手術の為入院。「三人の会」のコンサート等に出演出来ず、三橋・村田に対して病床からメッセージを送った事も有った。一旦は退院、死去1ヶ月前の同年9月6日に中野サンプラザでのキングレコード60周年コンサートに出演し「長崎の女」を歌唱したが、これが生涯最後のステージとなった。当日は車椅子で会場入りしたが、ステージ登場から歌い終える最後まで、立って、杖無しで自力で歩いてやりきった。テレビ東京系列で当日の映像も遺されており、追悼の際には放映されることもある。その後体調が悪化し再入院、「三人の会」結成から僅か3年後、そして生涯最後のステージから僅か1ヶ月後の1991年10月22日20時38分、肝硬変と心肺不全により東京都新宿区の東京医科大学病院で死去。67歳没、生涯現役であった。同27日には香川県高松市でリサイタルがある予定であったが、三橋が代役を買って出て、「赤いランプの終列車」を涙まじりに熱唱している。 デビュー後に吹き込んだ楽曲は通算千数百曲、レコードの総売上は7000万枚を超す。
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