旧阪神競馬場の隆盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 07:58 UTC 版)
阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場(阪神競馬倶楽部)は、1907(明治40)年に関西で初めての本格的な競馬場として建設された。当時、日本各地にはさまざまな競馬倶楽部が設立され、それぞれ独自に競馬を営み、レースを開催していた。この時代の鳴尾競馬場を代表する競走が帝室御賞典や各内国産馬連合競走だった。これに「阪神4歳牝馬競走」(1931・昭和6年創設)、阪神記念(1934・昭和9年創設)、「阪神記念アラブ系抽選馬競走」(1935・昭和10年創設)が加わり、鳴尾競馬場の「阪神競馬」は馬券の売上高で日本1、2を争う人気を博していた(1930年から1932年まで全国2位、1933年全国3位、1934年全国1位、1935年全国2位、1936年全国1位など)。 1936(昭和11)年に全国各地の11の競馬倶楽部が統合されて日本競馬会になると、各地で合わせて年に10回行なわれていた帝室御賞典は、年2回に統合されて大いに格式が引き上げられることになった。これにより、新たな「帝室御賞典」は、春に鳴尾競馬場(阪神)、秋に東京競馬場で行われることになった。1937(昭和12)年秋に東京競馬場で新たな帝室御賞典(現在の天皇賞はこれを正式な「第1回天皇賞」としている。)が行なわれ、翌1938(昭和13)年春には鳴尾競馬場で帝室御賞典が行なわれた。この1938(昭和13)年の暮れには鳴尾競馬場で阪神優駿牝馬競走(後の「優駿牝馬(オークス)」に相当)が創設され、4歳馬5大競走の一つも行われるようになり、鳴尾競馬場は名実ともに日本を代表する競馬場となった。
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