旧第一調整池決壊事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 21:16 UTC 版)
「杉の木貯水池」の記事における「旧第一調整池決壊事故」の解説
第一調整池決壊事故による被害状況死者数男性1 女性2 子供2 負傷者数3 流失家屋数5 浸水家屋数1 浸水地面積田約2 ha 畑約1 ha 荒れ地約3.5 ha その他、馬一頭が流失。 現・第一調整池(杉の木貯水池)建設のきっかけとなった旧・第一調整池決壊事故について触れる。 現在の小諸市南城公園がある場所に、かつての第一調整池が存在した。ダムの型式は鉄筋コンクリート製のバットレスダムである。1928年(昭和3年)8月29日午後4時8分、ダム左岸直近の水面に突如として渦巻が現れ、同時にダム底部から水が噴出。間もなくダム左岸部が基礎地盤もろとも陥没した。管理者である東信電気は事故発生を察知すると、すぐさま取水口の水門を閉じて取水を中断するとともに、ダムの排水操作を実行した。発電所を最大出力で運転して調整池の水位を下げるとともに、本来ダムに堆積した土砂を排出するための排砂ゲートも開放して排水した。午後8時2分、調整池の水が底をついたところで発電所を停止し、被害者の救出活動を展開した。この事故により5名の死者が確認されている。 事故の原因は当地の地質にあった。当地はかつて浅間山の噴火による火山灰が堆積してできた台地であり、地中にはガマと呼ばれる地下水を多く含む塊が散在する。第一調整池を形成していたダムの直下にも、このガマがあったと考えられている。事故直前に降った雨がガマ直上の土を軟化させ、陥没に至ったとされている。跡地は現在、南城公園として整備されており、ダムは事故後に撤去されてしまったので、当時の面影を残すものは排砂ゲートと防水壁を一部残すのみである。
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