旧社会党(SFIO)
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「社会党 (フランス)」の記事における「旧社会党(SFIO)」の解説
詳細は「フランス社会党 (SFIO)」を参照 フランスにおける社会主義政党の起源は、第三共和政が発足した1870年代まで遡ることができる。さまざまな思想を背景に成立した諸政党は、1902年までにジュール・ゲードを中心とする左派のフランス国社会党(PSDF)と、ジャン・ジョレスを中心とする右派のフランス社会党(PSF)にまとまり、この2党は1905年に第二インターナショナル(労働者インターナショナル)の提言を受け入れ、第二インター・フランス支部としての(旧)社会党(SFIO / 「統一社会党」とも)に統合された。SFIOは結党後9年で第一次世界大戦の勃発に直面し、反戦を唱道していた指導者のジョレスが右翼に暗殺された後にはゲードが入閣するなど、政府の戦争遂行政策に協力した。 ところが大戦末期頃から主流派に反対し反戦を唱える党内左派が勢力を増し、ロシア革命の成功にも影響されて主導権を掌握した左派は1920年コミンテルンへの加盟を決議して党を共産党へと改組、レオン・ブルムを始めとしてコミンテルン加盟に反対する少数派の社会民主主義者たちはかろうじてSFIOの党名を維持した。しかしSFIOはその後順調に党勢を回復、当初対立していた共産党とも協力関係を結び1936年にはブルムによる人民戦線政権が発足した。その後のナチス・ドイツによる占領とヴィシー政権による支配の時期、多くのSFIO党員はレジスタンス運動に活躍し、その実績を背景に第二次世界大戦後初期のフランス政治の一翼を担った。 1950年代末に始まるド=ゴール時代において、SFIOは当初ド=ゴールに協力したものの、程無くして対立を深めて下野し、ギー・モレ書記長のもとド=ゴール体制下での野党第一党として存在感を示した。しかし1968年の五月危機に直面して、SFIOは第五共和政に不満を抱く民衆に対し左翼の側からの長期的ヴィジョンを提示するだけの力量が無いことが露呈し、直後の総選挙で大敗した。党内からは社会主義調査センター(CERES)など左派の理論家集団を中心に党組織を大胆に再編成するべきであるとの意見が噴出し、SFIOはついに従来の党を解消しSFIOを中心にする左派連合「民主社会左翼連盟」(FGDS)を母体にして新たな社会党に移行することを決定した。
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