日本語のローマ字化計画と断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:08 UTC 版)
「連合国軍最高司令官総司令部」の記事における「日本語のローマ字化計画と断念」の解説
1948年(昭和23年)春、日本の教育状況と日本語に対する無知、さらに人種的偏見や文化的偏見から「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」と考えた民間情報教育局(CIE)の世論社会調査課長であるジョン・ペルゼル の発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。 ペルゼルは、大学院で人類学の修士号を取得した人類学者で、戦前には考古学的調査プロジェクトに参加して日本を訪れたことがあったものの、近代の日本の教育については全くの無知であり、日本人の学習意識が高く、古くからイギリスやドイツ、フランスなどの他の先進国に比べて識字率が高かった上に1872年に学制から始まった義務教育推進運動が進み、1915年には尋常小学校の通学率が90%を超えるなど、学齢期の国民の就学が普遍化していたことを知らなかった。 当時東大助手だった言語学者の柴田武は、民間情報教育局の指示によってこの読み書き全国調査のスタッフに選ばれ漢字テストの出題を任された。これは日本初の「無作為抽出法(ランダムサンプリング)」の実施でもあり、統計数理研究所研究員の統計学者だった林知己夫が被験者のサンプリングを行った。 こうして1948年(昭和23年)8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)によって調査は実施された、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした全国試験調査「日本人の読み書き能力調査」であったが、その結果は、漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり「識字率が100%に近い」という、ペルゼルの母国のアメリカはおろか、世界的に見ても例を見ない高いレベルだった。 柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「字が読めない人が非常に多いという結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「調査結果は捻じ曲げられない」と突っぱね、ペルゼルもそれ以上の無理押しはしなかったという。結局、日本語のローマ字化は撤回された。
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