日本移住後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:34 UTC 版)
日本移住後は、愛知県名古屋市で、スウェーデン語や英語の語学講師として生計を立てていた。 しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、スウェーデンの家族から心配され、丁度、語学講師の契約が切れるタイミングでもあったため、一旦、スウェーデンに帰国した。 再来日後の2011年8月1日(23歳の時)、日本古来の文化に携わりたいという思いから造園業の世界へ飛び込み、名古屋市の山本庭苑という造園業者でアルバイトとして勤務した。 村雨は、元々、「徒弟制度」への憧れを抱いていたが、山本庭苑では既に兄弟子が存在し、これ以上の弟子を採る余裕が無かった。 数十社から断られた後、愛知県西尾市の加藤造園という造園業者に採用され、2012年6月1日から、庭師の徒弟となり、5年間勤務した。 2015年(26歳の時)、日本国籍を取得した。日本名の「村雨」は、親方の父親の名前であり、作家の村雨退二郎に由来し、『南総里見八犬伝』に登場する架空の日本刀の名称が「村雨」であることにも由来する。また、「辰剛」の「辰」は辰年生まれであることに由来し、「剛」は親方の名前に由来する。なお、日本へ帰化する際には、スウェーデン人の親から「戦争になったら、日本のために戦って死ねるのか」と問われたが、村雨は自分の覚悟を伝え、許してもらったという。 2016年1月2日から株式会社YMNにタレントとして所属し、庭師の仕事と併行して、多数のテレビ番組やラジオ番組、CMなどに出演している。 加藤造園では庭園の手入れや管理の技術を学んだが、一から庭園を造る「設計」の仕事があまり無かったため、5年間の修業を終えた後、親方に相談し、東京の業者へ転職をした。
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