日本移管後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:39 UTC 版)
1952年4月、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効により日本に移管され、引き続き戦犯を収容していた。以後、正式には「巣鴨刑務所」となったが、一般に「巣鴨プリズン」と呼ばれた。 1958年5月、最後の戦犯18名が釈放され、巣鴨刑務所は閉鎖。東京拘置所が巣鴨に復元された。 法務省に絞首刑者が入った巣鴨拘置所13号扉と遺体が出された13号A扉が保管されている。
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